さなだ のぶただ
| 地域 | 甲信越(甲斐・信濃)、関東(江戸) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 武田氏 → 徳川氏(旗本) |
| 大名家 | 真田家(加津野家) |
| 家紋 | 六文銭 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 交渉の名人 |
真田信尹(さなだ のぶただ)は、真田幸隆の四男で、真田昌幸の弟にあたる武将である。天文16年(1547年)に生まれ、寛永9年(1632年)に86歳で亡くなった。武田家に仕え、武田家滅亡後は徳川家康の家臣となった。大坂の陣では、豊臣方についた甥の真田幸村に徳川方への寝返りを説いたと伝わる。
3行でわかる真田信尹
- 真田幸隆の子で、昌幸の弟。武田家の家臣・加津野家を継いだ
- 武田家滅亡後、北条家を経て徳川家康に仕え、旗本となった
- 大坂の陣で甥の幸村に寝返りを説いたが、断られたと伝わる
目次
武田家の家臣
信尹は真田幸隆の子として生まれ、兄の昌幸と同じく武田信玄に仕えた。武田家の家臣・加津野家の養子となり、加津野昌春と名のった時期もある。
徳川家康の家臣に
天正10年(1582年)に武田家が滅ぶと、信尹は北条家に仕えたのち、徳川家康の家臣となった。真田本家が上杉・北条・徳川の間で揺れ動くなか、信尹は徳川家の側から真田家との交渉にあたった。のちに徳川家の旗本として甲斐に領地を与えられた。
甥・幸村への説得
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣で甥の真田幸村が大坂城に入ると、家康は信尹を使者として幸村のもとに送り、徳川方に寝返るよう説いたと伝わる。信濃一国を与えるという条件だったともいわれるが、幸村はこれを断った。
信尹は寛永9年(1632年)に亡くなり、その子孫は旗本として江戸時代を通じて続いた。
真田信尹をめぐる人物
- 父:真田幸隆
- 兄:真田信綱/真田昌輝/真田昌幸
- 甥:真田信之/真田幸村
- 主君:武田信玄/武田勝頼 → 徳川家康
ゆかりの地
- 真田氏本城跡(長野県上田市真田町):真田家の本拠
- 長谷寺(長野県上田市真田町):真田幸隆夫妻の墓がある真田家の菩提寺


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