【豊臣兄弟!】第35回「秀長誕生」あらすじと振り返り|小牧・長久手の戦いと三好信吉、「秀長」の名の由来

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第35回「秀長誕生」は、2026年9月13日に放送されました。天正12年(1584年)、秀吉と家康がぶつかった小牧・長久手の戦い。そして主人公がついに「秀長」と名乗ります。

目次

第35回のあらすじ

家康を後ろだてにした織田信雄が兵を挙げ、小牧・長久手の戦いが始まります。家康は戦を長引かせて民を疲れさせ、秀吉への不満を高めるねらいでした。

小牧山城にこもる徳川軍を前に、池田恒興は「あえて岡崎を攻め、徳川軍を城からおびき出す」策を出します。その大将に選ばれたのが、秀吉の姉・ともの子、三好信吉(のちの豊臣秀次、山田涼介)でした。兵の数では勝っていた羽柴軍でしたが、徳川軍の不意打ちを受けて大敗し、恒興らが討死します。

わびる信吉に、秀吉は「なぜもっと早く引かなかった」と激怒します。小一郎がなぐさめると、信吉は「敵が城を出たら知らせが来るはずだった。見過ごしたのはほかの者たち」と、自分の責任を認めませんでした。

戦は各地に広がり、こう着します。小一郎は丹羽長秀のことばをきっかけに、信雄とだけ和睦するよう秀吉にすすめ、家康に見下されていた信雄はこれを受け入れました。和睦の場で信雄が秀吉をおとしめるようなことを言うと、小一郎は信雄を叱りつけ、兄の威厳を守ります。

長秀は「秀吉どのに信長公を超えさせよ」と小一郎の背中を押しました。小一郎は、兄の「秀」と信長の「長」を合わせて「秀長」と名を改め、兄を支える決意を新たにします。

主な登場人物

  • 羽柴秀長(小一郎)/仲野太賀、羽柴秀吉/池松壮亮
  • 徳川家康/松下洸平、織田信雄/山脇辰哉
  • 三好信吉(のちの豊臣秀次)/山田涼介(初登場)
  • 池田恒興/堀井新太(この回で退場)
  • 丹羽長秀/池田鉄洋
  • とも(秀吉の姉・信吉の母)/宮澤エマ
  • 本多忠勝/夏生大湖、榊原康政/栗原類、井伊直政/阿久津仁愛、酒井忠次/天野ひろゆき

史実と比べてみると

  • 小牧・長久手の戦い:天正12年3月から11月まで続いた、秀吉と家康が直接ぶつかったただ一度の大きな戦いです。家康は小牧山に陣を構えました。
  • 三河への中入り:4月6日の夜、秀次(当時は三好信吉)を大将に、池田恒興・森長可・堀秀政らが岡崎方面へ向かい、9日に長久手で徳川軍に追われて大敗しました。恒興と子の元助、森長可が討死しています。策を恒興が出したというのは通説ですが、確証については諸説あります。
  • 秀次の敗走:秀次は長久手で大敗し、秀吉から叱りの手紙を受けたとされます。
  • 信雄との和睦:天正12年11月、秀吉は信雄と単独で和睦し、家康は戦う理由を失って兵を引きました。小一郎の進言や長秀の助言は、ドラマの描き方です。
  • 「秀長」への改名:はじめ「長秀」と名乗り(「長」は信長からもらった字とされます)、天正12年ごろ「秀長」に改めたとされます。時期や理由には諸説あり、「秀吉の秀と信長の長を合わせた」というのはドラマの解釈です。
  • 丹羽長秀:このころは病がちだったとされ、翌天正13年4月に亡くなりました。

振り返り

第1回で信長の目にとまった「小一郎」が、35回かけてたどりついた「秀長」という名前。兄を支え、信長を超えさせる。その決意がこめられた題名どおりの回でした。戦いの全体像は小牧・長久手の戦いの解説でまとめています。

放送中の回の記事や登場人物の解説は、大河ドラマ『豊臣兄弟!』特集にまとめています。

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