和田惟長 | 和田惟政の子

和田惟長

わだ これなが

地域近畿
所属勢力・属性和田氏
大名家和田氏
家紋―
主武器太刀
衣装・甲冑塗具足
武将タイプ悲壮・家中分裂

和田惟政の子。父の死後に高槻城主となったが、元亀4年(1573年)に家臣の高山友照・右近父子に城を追われた。最期は伏見で死去したとする記録と、生き延びたとする系図の二説がある。

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惟政の跡を継ぐ

和田惟長は、摂津の和田惟政の子である。惟政は永禄11年(1568)に芥川山城の城主となり、のちに高槻城(大阪府高槻市)へ拠点を移した。織田信長の摂津支配の要を担い、宣教師から「都の副王」と呼ばれた。

元亀2年(1571)8月、惟政は荒木村重が率いる摂津池田氏の軍勢と白井河原(茨木市)で戦い、敗死した。跡を継いだのが惟長である。同年12月には、高槻の寺院に安堵状を出している。

高山父子との争い

惟長の配下では、高山飛騨守(友照)・右近の父子が主君をしのぐ力をつけていった。元亀4年(1573)3月、高槻城で争いが起こった。宣教師の記録によると、惟長と右近は互いに斬りつけあい、敵味方入り乱れた乱戦のなかで双方が瀕死の重傷を負った。

敗北を悟った惟長は、家族やわずかな家臣とともに高槻城を出て伏見へ逃れ、そこで亡くなったと宣教師は記す。一方で、惟長は生き延びて豊臣秀吉、さらに徳川家康に仕えたとする系図もある。最期については二つの伝えがあり、どちらとも決められない。

その後の高槻城

惟長を追った高山父子が、以後の高槻城主となった。和田氏の時代の高槻城には「天主」があったという記録があり、全国で3番目に古い例とされる。

ゆかりの地

  • 高槻城跡(大阪府高槻市):父惟政から惟長が継いだ城
  • 白井河原(大阪府茨木市):元亀2年(1571)、父惟政が敗死した地

参考にした資料

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