つの ちかただ
| 地域 | 四国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 長宗我部・津野氏 |
| 大名家 | 長宗我部 |
| 家紋 | 七つカタバミ |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 悲劇・長宗我部四男 |
長宗我部元親の四男(津野氏を継承)。関ヶ原の戦い直後、家中混乱の中で兄・盛親の命(または勘違い)により暗殺された悲劇の若武者。
津野氏と長宗我部氏
津野親忠は、土佐の戦国大名・長宗我部元親の四男として生まれ、土佐西部の名門・津野氏を継いだ武将である。津野氏は古くから津野荘を本拠とした由緒ある一族であり、元親は土佐統一の過程でこの家に我が子を送り込み、支配を固めた。親忠は長宗我部一門の血を引きつつ、津野氏の当主として西土佐の統治にあたる立場となった。
長宗我部家の後継問題
天正十四年(1586)、九州の戸次川の戦いで元親の嫡男・信親が討死すると、長宗我部家の跡目をめぐって家中の空気は張りつめた。本来であれば年長の男子が有力な後継候補となるところだが、元親は四男の盛親を跡継ぎに定めようとした。津野親忠は盛親の兄にあたり、その存在は後継問題において微妙な立場に置かれることになった。
元親との確執
後継を盛親に一本化しようとする元親にとって、他の男子の存在は火種となりかねなかった。親忠は次第に父から疎んじられ、幽閉されるなど不遇の身となったと伝えられる。有能で人望もあったとされる親忠だけに、その処遇は家中に複雑な感情を残した。長宗我部家の内には、こうして後継をめぐる暗い影が忍び寄っていた。
関ヶ原後の悲劇的な暗殺
慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に付いた盛親は、戦後の処分をめぐって窮地に立たされた。この混乱のさなか、家中の一部の家臣の手によって、津野親忠は暗殺されてしまう。徳川方への釈明を難しくする存在を除こうとした結果とも伝えられ、若き親忠は非業の死を遂げた。
長宗我部氏の落日
皮肉にも、兄・親忠を失ったことは長宗我部家にとって救いとはならなかった。身内を手にかけたことは徳川方の心証を悪くし、盛親は結局、土佐一国を没収されて改易となった。四国に覇を唱えた長宗我部氏の落日は、後継問題に端を発する内紛と、津野親忠の悲劇に象徴されている。将来を嘱望されながら散った親忠は、戦国土佐の悲運の貴公子として記憶されている。








































