わに ちかざね
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 肥後国人 |
| 大名家 | 肥後国人 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 大槍 |
| 衣装・甲冑 | 武骨具足 |
| 武将タイプ | 「田中城の戦い」・不屈 |
肥前・肥後の国人。肥後国人一揆において田中城に籠城。豊臣軍の大軍相手に二ヶ月以上死闘を繰り広げた。
目次
田中城の籠城戦・和仁親実
和仁親実(わに ちかざね)は、肥後国(現在の熊本県)の国人・和仁氏の武将です。豊臣秀吉の天下統一に抗った「肥後国人一揆」において、本拠・田中城に籠城し、豊臣の大軍を相手に凄絶な籠城戦を戦い抜いたことで知られます。
肥後国人一揆
天正15年(1587年)、豊臣秀吉は肥後を家臣の佐々成政に与えましたが、成政の強引な検地に反発した肥後の国人衆が一斉に蜂起しました。これが肥後国人一揆です。和仁親実ら和仁三兄弟も、この一揆に加わって豊臣方に立ち向かいました。
田中城の死闘
和仁親実らは、本拠の田中城に籠城し、豊臣方の大軍を相手に二ヶ月以上にわたる死闘を繰り広げました。小勢の国人が、天下人の大軍を相手にこれほど粘り抜いたことは、彼らの意地と結束の固さを物語っています。
落城と最期
しかし、圧倒的な兵力差の前に田中城はついに落城し、和仁親実らは討ち死にを遂げました。和仁親実の生涯は、天下統一の強引な仕置に抗い、田中城に籠って豊臣の大軍と二ヶ月以上戦い抜いた、肥後国人の不屈の姿を今に伝えています。


















