ひらて まさひで
| 地域 | 東海(尾張) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 織田氏(信秀の重臣、信長の守役) |
| 大名家 | 平手家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 肩衣・袴 |
| 武将タイプ | 忠義の老臣 |
平手政秀(ひらて まさひで)は、織田信秀の重臣で、若いころの織田信長の守役(教育係)をつとめた人物である。明応元年(1492年)に生まれ、天文22年(1553年)に62歳で自害した。信長と斎藤道三の娘・濃姫の縁組をまとめるなど、外交でも活躍した。
3行でわかる平手政秀
- 織田信秀に仕え、朝廷との交渉や外交で活躍した
- 信長の守役となり、斎藤道三の娘・濃姫との縁組をまとめた
- 天文22年(1553年)に自害し、信長は政秀寺を建ててその死をとむらった
目次
信秀の重臣
政秀は尾張の織田信秀に仕えた重臣で、教養のある人物だった。京にのぼって朝廷との交渉にあたり、信秀が内裏の修理費を献上したときにも使者をつとめたとされる。
信長の守役
政秀は信秀の嫡男・吉法師(のちの信長)の守役となった。若いころの信長は奇抜な格好で町を歩きまわり、「大うつけ」と呼ばれていた。
天文17年(1548年)ごろ、政秀は対立していた美濃の斎藤道三との和睦をまとめ、道三の娘・濃姫を信長の妻にむかえる縁組を実現させた。
政秀の死
天文22年(1553年)、政秀は自害した。『信長公記』は、信長との不和が原因だったと記している。のちの書物では、信長の行いをいさめるために命を絶った「諫死」として語られるようになった。
信長は政秀の死を悲しみ、政秀寺を建てて菩提をとむらった。
平手政秀をめぐる人物
- 主君:織田信秀/織田信長
- 育てた人物:織田信長
- 縁組をまとめた相手:斎藤道三(濃姫の父)
ゆかりの地
- 政秀寺(名古屋市中区):信長が政秀のために建てた寺
- 志賀城跡(名古屋市北区):政秀の居城と伝わる


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斎藤道三







































