かみいずみ のぶつな
| 地域 | 関東(上野) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 長野氏(箕輪城の家臣)→ 剣術家 |
| 大名家 | 上泉家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 刀 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 剣聖 |
上泉信綱(かみいずみ のぶつな)は、上野の武将で、剣術の新陰流を開いた剣豪である。のちに伊勢守を名のった。永正5年(1508年)ごろに生まれたとされ、天正5年(1577年)ごろに亡くなったといわれる。「剣聖」と呼ばれ、柳生宗厳に新陰流の奥義を伝えた。
3行でわかる上泉信綱
- 上野の箕輪城主・長野業正に仕え、「上野国一本槍」と呼ばれた
- 剣術の新陰流を開き、けいこ用の袋竹刀を考えたと伝わる
- 諸国をめぐって剣を教え、柳生宗厳に新陰流を伝えた
目次
箕輪城の武将
信綱は上野の上泉(群馬県前橋市)の城主の家に生まれ、箕輪城主・長野業正に仕えた。武田信玄の攻撃から箕輪城を守る戦いで活躍し、「上野国一本槍」の感状を受けたと伝わる。
永禄9年(1566年)ごろ、箕輪城が武田軍に落とされると、信綱は武田家への仕官を断って、剣の道を広める旅に出たという。
新陰流と袋竹刀
信綱は、愛洲移香斎の陰流などを学び、新陰流を開いた。けがをしないように竹を割って革の袋に入れた「袋竹刀」を考え、真剣や木刀を使わずにけいこができるようにしたといわれる。今の竹刀のもとになったとされる。
柳生宗厳との出会い
信綱は弟子たちとともに京や大和をめぐった。大和の柳生宗厳と試合をして勝ち、宗厳は信綱の弟子となった。信綱は宗厳に新陰流の印可(奥義を伝える免状)を与え、新陰流は柳生家に受け継がれて「柳生新陰流」として広まった。
京では将軍・足利義輝にも剣を披露したと伝わる。晩年については記録が少なく、はっきりしない。
上泉信綱をめぐる人物
- 主君:長野業正
- 弟子:柳生宗厳(石舟斎)/疋田景兼
- 剣を披露した相手:足利義輝
- 開いた流派:新陰流
ゆかりの地
- 上泉城跡(上泉伊勢守信綱公銅像)(群馬県前橋市上泉町):信綱の生まれた地。銅像がある
- 箕輪城跡(群馬県高崎市):信綱が仕えた長野家の城
- 柳生の里(奈良市柳生町):新陰流が受け継がれた地


柳生宗厳
足利義輝
武田信玄
塚原卜伝







































