わだ これまさ
| 地域 | 近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 室町幕府・織田系 |
| 大名家 | 室町幕府 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀・十字架 |
| 衣装・甲冑 | 華美具足 |
| 武将タイプ | キリシタン・名将 |
甲賀出身で足利義昭・織田信長に仕えた摂津和田城主。キリシタンを擁護し京の政局を支えたが、白井河の戦いで討死。
目次
キリシタンを守った・和田惟政
和田惟政(わだ これまさ)は、甲賀(現在の滋賀県南部)の出身で、足利義昭・織田信長に仕えた武将です。摂津和田城(芥川城)を拠点とし、キリシタンを擁護して京の政局を支えましたが、白井河原の戦いで討ち死にしました。
足利義昭を支えて
和田惟政は、諜報や機略に長けた甲賀の出身でした。放浪の身であった足利義昭を保護・支援し、義昭が織田信長に擁されて上洛し将軍となる過程で、重要な役割を果たします。信長からも信任され、摂津の要地を任されました。
キリシタンの擁護
和田惟政は、当時日本に広まりつつあったキリスト教に理解を示し、宣教師を保護してキリシタンを擁護したことで知られます。宣教師ルイス・フロイスらの記録にも、好意的な人物として登場します。
白井河原に散る
しかし元亀2年(1571年)、和田惟政は、摂津の白井河原(しらいがわら)の戦いにおいて、荒木村重・池田勢の軍勢と戦い、討ち死にを遂げました。京の政局を支えた実力者の突然の死でした。和田惟政の生涯は、甲賀から身を起こして義昭・信長を支え、キリシタンを擁護しながら白井河原に散った、その姿を今に伝えています。




















