おににわ つなもと
| 地域 | 東北 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 伊達家臣 |
| 大名家 | 伊達氏 |
| 家紋 | 丸に三ツ引き |
| 主武器 | 太刀・行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 黒漆塗具足 |
| 武将タイプ | 「茂庭綱元」・名家老 |
鬼庭良直の子(茂庭綱元)。伊達政宗の奉行格として豊臣・徳川との外交や仙台藩の内政を半世紀にわたり指揮。
伊達家の重臣・鬼庭氏
鬼庭綱元(のちの茂庭綱元)は、奥州の戦国大名・伊達氏に仕えた重臣である。鬼庭氏は代々伊達家に仕えた譜代の家柄で、綱元は伊達政宗のもとでその中枢を担った。武勇の士が多い伊達家臣団にあって、綱元は政務や外交にも通じた知略の人として重きをなした。
父・鬼庭左月斎の武勇
綱元の父・鬼庭左月斎(良直)もまた、伊達氏に仕えた名高い武将であった。天正十三年(1585)の人取橋の戦いでは、老齢の身をおして殿軍を務め、若き主君政宗を逃すために奮戦して壮烈な討死を遂げたと伝えられる。父の忠勇の血を受け継いだ綱元は、伊達家を支える重臣として父の後を継いだ。
政宗を支えた智の重臣
綱元は、伊達政宗の側近として奉行の役を務め、家中の政務や他家との交渉において手腕を発揮した。武力だけでは治まらぬ領国経営や外交の場面で、綱元のような実務に長けた家臣の存在は不可欠であった。急速に勢力を広げる政宗の覇業は、綱元ら有能な重臣たちの支えによって成り立っていた。
豊臣秀吉との逸話
綱元にまつわる逸話として、豊臣秀吉との交流を伝える話が知られる。政宗の使者として上洛した綱元は、その才知や人柄を秀吉に気に入られたと伝えられ、両者の間には碁をめぐる逸話なども残されている。主君政宗と天下人秀吉との緊張をはらんだ関係のなかで、綱元は巧みに立ち回り、伊達家のために尽くした。
仙台藩の礎と長寿
関ヶ原の戦いを経て政宗が仙台藩を開くと、綱元は引き続き藩の重鎮としてこれを支えた。茂庭氏と改めた一族は、仙台藩において重臣の家柄として続いていった。綱元自身も長命を保ち、戦国から泰平の世への移り変わりを見届けたと伝えられる。伊達六十二万石の礎は、こうした忠実で有能な重臣たちの働きの上に築かれたのである。
茂庭氏の後世
綱元が興した茂庭の家は、仙台藩の重臣として代々続き、伊達家臣団のなかで重んじられた。父・左月斎の忠死から子・綱元の長い奉公へと受け継がれた鬼庭(茂庭)氏の忠勤は、主家伊達氏の興隆をその根底から支えたものとして、後世に高く評価されている。








































