まかべ はるもと
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 常陸真壁氏当主(戦国初期) |
| 大名家 | 真壁氏 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 大槍 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 剛毅・不屈 |
常陸国真壁郡の真壁城(現在の桜川市)の城主で、真壁氏の当主。戦国時代初期の人で、父は尚幹(のち久幹)、子は家幹。古河公方家の内紛である永正の乱では、初め足利政氏方に従い、のち足利高基方へ転じたとされる。
目次
戦国初期の真壁城主
真壁治幹(まかべ はるもと)は常陸国真壁郡の国人領主で、真壁城(現在の茨城県桜川市)の城主である。文正元年(1466)に生まれ、天文8年(1539)に没したとされる。通称は右衛門佐、のち安芸守。
父は真壁尚幹で、のち久幹と改めた。父は出家して道瑚と号し、永正4年(1507)に没した。治幹が当主として本格的に動くのはこの頃からとされる。子に家幹がいる。
永正の乱での去就
当時の関東では、古河公方の足利政氏と子の高基が争う永正の乱が起きていた。治幹は初め政氏方に従った。永正11年(1514)頃、常陸の小田政治を誘って高基方に転じたとされる。
治幹と政氏の親交はその後も続いたとみられる。このため、高基方への転身は後継者の家幹が主導した可能性も指摘されている(中根正人の研究)。
真壁氏のその後
真壁氏は鎌倉時代から真壁郡を治め、19代にわたって続いた一族である。治幹の没後、16世紀後半には久幹・氏幹父子が佐竹氏と結び、北条氏や小田氏と戦った。久幹は「夜叉真壁」、氏幹は「鬼真壁」の異名で知られる。いずれも治幹より後の世代の人物である。
ゆかりの地
- 真壁城跡(桜川市):真壁氏代々の居城。国指定史跡。



























