うさみ さだみつ
| 地域 | 甲信越(越後) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 長尾氏・上杉氏(重臣) |
| 大名家 | 宇佐美家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 采配 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 伝説の軍師 |
宇佐美定満(うさみ さだみつ)は、越後の武将で、長尾為景・上杉謙信に仕えた。延徳元年(1489年)ごろに生まれたとされ、永禄7年(1564年)に亡くなった。江戸時代には謙信の「軍師」として名高い人物とされたが、その多くは後世の軍学書による話である。
3行でわかる宇佐美定満
- 越後の琵琶島城主で、はじめ長尾為景と争い、のちに長尾家に仕えた
- 江戸時代の軍学(宇佐美流)で、謙信の名軍師として描かれた
- 野尻湖で舟遊び中に長尾政景とともに水死した
目次
越後の国衆
定満は、越後の琵琶島城(新潟県柏崎市)を本拠とした宇佐美家の当主である。はじめは長尾為景と敵対したが、のちに長尾家に仕え、謙信の兄・長尾晴景、そして謙信の時代には重臣の一人となった。
「謙信の軍師」の伝説
江戸時代になると、定満の子孫を名のる宇佐美勝興(大関氏)が、定満を謙信の名軍師とする軍学「宇佐美流」を広めた。そのため定満は、武田信玄の軍師・山本勘助と並ぶ存在として語られるようになった。
ただし、確かな史料から分かる定満の働きはそれほど多くなく、「軍師」としての姿は後世に作られた部分が大きい。
野尻湖の最期
永禄7年(1564年)、定満は謙信の姉の夫・長尾政景とともに、信濃の野尻湖で舟遊びをしているときに水死した。政景はかつて謙信と争ったことがあり、謙信の命を受けた定満が、政景を道連れにしたという説もあるが、事故だった可能性もある。政景の子が、のちの上杉景勝である。
宇佐美定満をめぐる人物
- 主君:長尾為景/長尾晴景/上杉謙信
- ともに亡くなった人物:長尾政景
- 並び称された軍師:山本勘助(武田家)
ゆかりの地
- 琵琶島城跡(新潟県柏崎市):定満の居城
- 野尻湖(長野県上水内郡信濃町):定満が亡くなった湖


上杉謙信
上杉景勝
山本勘助

















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