やまがた まさかげ
| 地域 | 甲信越(甲斐)・東海(駿河) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 武田氏(重臣・武田四天王) |
| 大名家 | 武田家(飯富氏→山県氏) |
| 家紋 | 桔梗 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 赤備えの具足 |
| 武将タイプ | 猛将・先鋒 |
山県昌景(やまがた まさかげ)は、武田信玄・勝頼に仕えた重臣で、武田四天王のひとりに数えられる。もとの名は飯富源四郎。享禄2年(1529年)ごろに生まれ、天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死した。武具を赤一色でそろえた「赤備え」の部隊をひきい、武田軍の先鋒として恐れられた。
3行でわかる山県昌景
- 飯富虎昌の弟(甥とも)で、飯富家の「赤備え」を受け継いだ
- 三方ヶ原の戦いなどで先鋒をつとめ、駿河の江尻城代として東海道を守った
- 長篠の戦いで鉄砲隊に突撃して討死し、赤備えはのちに井伊直政に受け継がれた
目次
飯富から山県へ
昌景は、武田家の宿老・飯富虎昌の弟(甥とも)として生まれ、若いころから信玄の側近として仕えた。
永禄8年(1565年)、信玄の嫡男・武田義信が父に背こうとした事件で、義信の守役だった兄の虎昌が責任を問われて切腹した。昌景はこの企てを信玄に知らせたともいわれ、事件のあと、絶えていた名門・山県家の名を継いで山県昌景と名のった。
赤備え
虎昌の部隊は、具足や旗などを赤一色でそろえた「赤備え」で知られた。昌景はこの赤備えを受け継ぎ、戦場で真っ先に敵に突きかかる先鋒として名をあげた。
元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いでは徳川家康の軍を打ち破り、家康を浜松城へ敗走させた。駿河を手に入れたあとは江尻城(静岡市清水区)の城代となり、徳川家と向き合う最前線を任された。
長篠の戦い
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、昌景は武田軍の左翼をひきいた。織田・徳川連合軍の馬防柵と鉄砲隊に向かって突撃をくり返し、討死した。
武田家が滅んだあと、徳川家康は武田の旧臣を多く召し抱え、赤備えを井伊直政の部隊に受け継がせた。「井伊の赤備え」として、関ヶ原や大坂の陣で活躍することになる。
山県昌景をめぐる人物
- 主君:武田信玄/武田勝頼
- 兄(叔父とも):飯富虎昌
- 武田四天王:馬場信春/内藤昌豊/高坂昌信
- 赤備えを継いだ武将:井伊直政
ゆかりの地
- 長篠・設楽原古戦場(愛知県新城市):昌景が討死した戦場。墓碑が残る
- 江尻城跡(静岡市清水区):昌景が城代をつとめた城
- 三方ヶ原古戦場(浜松市):家康を破った戦場


武田信玄
武田勝頼
井伊直政
徳川家康
馬場信春







































