織田信包 | 伊勢の長野家を継いだ信長の弟。秀吉の世を生き抜き、大坂城で秀頼に仕えた

織田信包のイラスト(イメージ)

おだ のぶかね

地域東海(伊勢)
所属勢力・属性織田氏一門→豊臣氏
大名家織田氏(長野氏)
家紋織田木瓜
主武器太刀
衣装・甲冑具足に陣羽織
武将タイプ生き残った一門衆

織田信包(おだ のぶかね)は、織田信長の弟である。天文12年(1543年)に生まれ、慶長19年(1614年)に亡くなった。信長の伊勢攻めのなかで伊勢の名家・長野家を継ぎ、安濃津城(のちの津城)の主となった。信長の死後は豊臣秀吉に従って大名として生き残り、晩年は大坂城で豊臣秀頼に仕えた。

3行でわかる織田信包
  • 信長の弟。伊勢攻めのなかで長野家の養子となり、安濃津城を本拠とした
  • 小谷城の落城後、妹の市と浅井三姉妹を預かったと伝わる
  • 秀吉のもとで浮き沈みを経ながら大名として残り、晩年は大坂城で秀頼に仕えた
目次

伊勢の長野家を継ぐ

信長は永禄年間に伊勢へ攻めこみ、北伊勢の神戸家に三男の織田信孝を、中伊勢の長野家に弟の信包を養子として入れた。他家の跡継ぎに一門を入れて、その家ごと味方にするやり方である。信包は安濃津城を本拠とし、伊勢の一部をおさめた。

市と三姉妹

天正元年(1573年)に小谷城が落ちると、妹の市と浅井長政の娘たち(茶々・初・江)は信長方に引き取られた。三姉妹は信包のもとで育てられたという説がよく知られるが、身を寄せた場所については諸説ある。

秀吉の世を生き抜く

本能寺の変のあと、信包は秀吉に従った。文禄年間に秀吉の怒りにふれて領地を減らされたこともあったが、のちに丹波の柏原を与えられ、大名として残った。

晩年は大坂城に入り、姪の淀殿の子である秀頼に仕えた。大坂の陣が始まる直前の慶長19年(1614年)、大坂城内で亡くなっている。信長の弟たちの中で、天下人の時代を最後まで見届けた一人だった(「信長の弟たちと秀吉の弟・秀長を比較」参照)。

織田信包をめぐる人物

  • 兄:織田信長
  • 兄弟:織田信勝/織田長益
  • 妹:お市の方
  • 姪:淀殿/お初/お江
  • 仕えた相手:豊臣秀吉/豊臣秀頼

ゆかりの地

  • 津城跡(安濃津城)(三重県津市):信包が本拠とした城の跡
  • 柏原(織田家旧邸)(兵庫県丹波市):信包が晩年に与えられた地。のちに織田家の柏原藩が置かれた
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