浅井三姉妹のその後 — 茶々・お初・お江、戦国を生きた三姉妹それぞれの運命

打掛姿で並ぶ浅井三姉妹(茶々・お初・お江)の日本画風イメージ

大河『豊臣兄弟!』第39回「茶々の本心」で、茶々は秀吉の側室になる道へと向かっていく。だがこの茶々には、同じ運命を背負った二人の妹がいた。お初とお江である。浅井三姉妹と呼ばれる彼女たちは、父と母を戦乱で失いながら、それぞれまったく違う形で戦国から江戸の世を生き抜いた。茶々の選択を、三姉妹という大きな流れの中に置いて眺めてみたい。

目次

三姉妹の出発点 — 浅井長政とお市の娘たち

茶々・お初・お江の三姉妹は、北近江の大名・浅井長政と、織田信長の妹・お市の方との間に生まれた。父・長政は信長に背いて滅び、小谷城は落城する。母・お市は三人の娘を連れて城を出るが、のちに柴田勝家と再婚し、その勝家も秀吉に敗れて、お市は北ノ庄城で勝家とともに自害した。幼くして二度の落城を経験し、父も母も戦乱で失う—三姉妹の人生は、そんな過酷な出発点から始まった。父・長政は浅井長政、母・お市はお市の方にまとめている。

長女・茶々(淀殿)— 豊臣を背負った姉

長女の茶々は、やがて父母の仇ともいえる秀吉の側室となり、淀殿と呼ばれるようになる。待望の男子・秀頼を産んだことで、豊臣の家を一身に背負う立場へと押し上げられた。秀吉の死後は、幼い秀頼を守って徳川家康と対峙し、最後は大坂の陣で秀頼とともに城を枕に果てる。三姉妹の中で、もっとも華やかで、もっとも悲劇的な道を歩んだ姉だった。茶々の生涯は淀殿(茶々)に、側室に至る経緯の予想と、その子がもたらした後継問題は茶々の子がもたらすものにまとめている。

次女・お初(常高院)— 姉妹の間をつないだ調停者

次女のお初は、従兄にあたる京極高次に嫁いだ。京極家は豊臣にも徳川にも近い微妙な立場にあり、お初自身も、豊臣方の姉・茶々と徳川方の妹・お江との間に立つことになる。とくに大坂の陣では、豊臣と徳川の和睦を取り持つ使者として奔走した。姉妹が敵味方に分かれるなか、そのどちらにも通じ、争いを和らげようとした調停者—それがお初という人だった。くわしくはお初(常高院)に。

三女・お江(崇源院)— 徳川将軍家の母へ

三女のお江は、二度の結婚を経て、最後に徳川秀忠の正室となった。そして三代将軍となる徳川家光を産む。つまりお江は、徳川将軍家の生母となったのである。豊臣を背負った姉・茶々と、徳川の世を支えた妹・お江。同じ母から生まれた姉妹が、天下を争う二つの家それぞれの中心に立つという、数奇な運命がここにある。お江の生涯はお江(崇源院)にまとめた。

敵味方に分かれた三姉妹 — 大坂の陣

秀吉亡きあと、天下は豊臣と徳川が争う時代に入る。長女・茶々は豊臣の象徴として、三女・お江は徳川将軍家の母として、まさに敵味方に分かれた。そして次女・お初は、そのあいだで和睦に奔走する。大坂の陣は、戦国大名どうしの戦いであると同時に、浅井三姉妹の運命が真正面からぶつかり合った戦いでもあった。豊臣を滅ぼす側に立った家康については徳川家康に、豊臣の天下そのものを築いた秀吉は豊臣秀吉にまとめている。

第39回「茶々の本心」と、分かれ道の始まり

第39回で茶々が側室になる決断は、三姉妹の運命が大きく分かれていく、その始まりの一歩でもある。同じ落城を生き延びた三人が、豊臣・徳川・そのあいだ、とまったく違う場所へ歩んでいく。茶々の本心がどこにあったにせよ、その選択が妹たちの人生とも深く結びついていたことを思うと、この回はいっそう味わい深い。めとられる茶々の視点は茶々はなぜ側室になるのか(予想)にまとめている。

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