はら まさたね
| 地域 | 甲信越(甲斐) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 武田氏(陣場奉行・武田二十四将) |
| 大名家 | 原家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 地形を読む参謀 |
原昌胤(はら まさたね)は、武田信玄・勝頼に仕えた武将で、武田二十四将のひとりである。享禄4年(1531年)ごろに生まれ、天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死した。武田軍が陣を置く場所を決める「陣場奉行」をつとめ、地形を読む力にすぐれていたと伝わる。原虎胤とは別の家の人物である。
3行でわかる原昌胤
- 武田家の譜代の家臣で、武田二十四将のひとり
- 陣場奉行として、地形を読んで軍の陣地を定めた
- 長篠の戦いで討死した
目次
陣場奉行
昌胤は甲斐の原家の当主で、父の原昌俊も信虎・信玄に仕えた陣場奉行だった。陣場奉行は、行軍の道筋や、戦場で陣を置く場所を決める役目で、地形や天候を読む知識が求められた。昌胤はこの役目をよくつとめ、信玄に信頼された。
長篠の戦い
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、昌胤も武田軍の一翼として織田・徳川軍に突撃し、討死した。この戦いで武田家は多くの重臣を失った。
原昌胤をめぐる人物
- 主君:武田信玄/武田勝頼
- 父:原昌俊(陣場奉行)
ゆかりの地
- 長篠・設楽原古戦場(愛知県新城市):昌胤が討死した戦場


武田信玄
武田勝頼







































