なりた ながちか
| 地域 | 関東(武蔵・忍) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 成田氏(一族) |
| 大名家 | 成田家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 籠城の総大将 |
成田長親(なりた ながちか)は、武蔵の忍城主・成田家の一族である。天文15年(1546年)ごろの生まれとされ、慶長18年(1613年)ごろに亡くなったといわれる。天正18年(1590年)の小田原征伐のとき、城主の成田氏長にかわって忍城の守りの中心となり、石田三成の水攻めに耐えた。小説・映画『のぼうの城』の主人公として広く知られる。
3行でわかる成田長親
- 忍城主・成田氏長のいとこ(一族)にあたる武将
- 小田原征伐のとき、氏長の留守をあずかって忍城を守った
- 石田三成の水攻めに耐え、小田原城が降伏するまで城を守り抜いた
目次
忍城の留守
忍城(埼玉県行田市)の成田家は、北条家に従う武蔵の国衆だった。天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条家を攻めると、城主の成田氏長は小田原城に入り、忍城は一族の成田泰季が守った。泰季が亡くなると、その子の長親が守りの中心となった。
忍城の水攻め
石田三成は約2万の軍で忍城を囲み、まわりに長い堤(石田堤)を築いて利根川・荒川の水を引き入れ、城を水に沈める水攻めを行った。しかし忍城は沼地に浮かぶ「浮き城」で、城は沈まず、堤が切れて攻め手のほうに被害が出たと伝わる。
長親らは城を守り抜き、小田原城が降伏したあとの7月、ようやく開城した。氏長の娘・甲斐姫も城の中で戦ったと伝わる。
のぼうの城
長親については記録が少なく、その人柄はよくわかっていない。和田竜の小説『のぼうの城』では、「でくのぼう」をちぢめて「のぼう様」と呼ばれる、のんびりしているが人望のある総大将として描かれた。
成田長親をめぐる人物
- 主君(一族の当主):成田氏長
- 父:成田泰季
- ともに戦った一族:甲斐姫
- 攻めてきた相手:石田三成
ゆかりの地
- 忍城跡(行田市郷土博物館)(埼玉県行田市):長親が守り抜いた城
- 石田堤史跡公園(埼玉県鴻巣市):水攻めの堤の跡


石田三成
甲斐姫
豊臣秀吉






































