土屋昌続 | 信玄の側近で武田二十四将のひとり。信玄の死に殉じようとし、長篠の戦いで討死した

土屋昌続のイラスト(イメージ)

つちや まさつぐ

地域甲信越(甲斐)
所属勢力・属性武田氏(信玄の側近・奉行)
大名家土屋家
家紋不詳
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ忠臣

土屋昌続(つちや まさつぐ)は、武田信玄に仕えた側近で、武田二十四将のひとりに数えられる。天文13年(1544年)に生まれ、天正3年(1575年)の長篠の戦いで32歳で討死した。信玄の近くで取り次ぎや奉行をつとめ、信玄が亡くなったときには後を追おうとして止められたと伝わる。

3行でわかる土屋昌続
  • 信玄の近くに仕え、取り次ぎや奉行の役目をつとめた
  • 信玄が亡くなったとき殉死しようとし、高坂昌信に止められたと伝わる
  • 長篠の戦いで織田・徳川軍の柵に突撃して討死した
目次

信玄の側近

昌続は金丸筑前守の子として生まれ、のちに土屋家を継いだ。若いころから信玄の近くで仕え、信玄の命令を家臣に伝える取り次ぎや、さまざまな奉行の役目をつとめた。武田二十四将のひとりにも数えられる。

信玄の死

元亀4年(1573年)に信玄が亡くなると、昌続は後を追って殉死しようとしたが、高坂昌信に「信玄公の遺志は勝頼公を支えることだ」と止められたという話が伝わる。

長篠の戦い

天正3年(1575年)の長篠の戦いで、昌続は織田・徳川連合軍の馬防柵に向かって突撃し、討死した。家督は弟の昌恒が継いだ。

土屋昌続をめぐる人物

  • 主君:武田信玄/武田勝頼
  • 弟:土屋昌恒
  • 殉死を止めた人物:高坂昌信

ゆかりの地

  • 長篠・設楽原古戦場(愛知県新城市):昌続が討死した戦場
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