どい きよよし
| 地域 | 四国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 西園寺家臣 |
| 大名家 | 西園寺 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀・『清良記』 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 「農の武人」・名将 |
南伊予三間城主。戦国時代の農政・軍事を記した日本最古級の農書『清良記』の著者。長宗我部軍を何度も撃退した知将。「農の武人」・名将と評され、周囲からの信頼も厚かったと伝わる。
南伊予と西園寺氏の十五将
土居清良は、伊予国南部の宇和郡を拠点とした武将で、三間(みま)地方の大森城を本拠とした。当時の南伊予は、公家出身の名門・西園寺氏が国人領主を束ねて支配しており、清良もその有力な家臣「西園寺十五将」の一人に数えられた。四国の南西端に位置するこの地は、土佐の長宗我部氏や豊後の大友氏など周辺勢力の圧力を絶えず受ける最前線であり、清良は在地の武士としてその防衛の要を担った。
長宗我部の伊予侵攻を防いだ知将
土佐を統一した長宗我部元親が四国全土へと勢力を広げると、南伊予にもその軍勢が押し寄せた。土居清良は寡兵をもって巧みに長宗我部軍を迎え撃ち、地の利を生かした戦いで何度もこれを撃退したと伝えられる。数に勝る敵を知略で退けたその手腕から、清良は南伊予屈指の名将・知将として名を知られた。西園寺方が劣勢に立たされるなかで、清良の奮戦は南伊予の独立を長く支えたのである。
日本最古級の農書『清良記』
土居清良の名を後世に高からしめたのは、彼にちなむ農書『清良記(親民鑑月集)』の存在である。これは戦国期の農業技術や農政、領民の暮らしについて詳細に記した書物で、日本でも最古級の農書として貴重な史料とされる。作物の栽培法や年貢のあり方など、当時の農村社会を具体的に伝えるその内容は、武将としてだけでなく、民を思う為政者としての清良の一面をうかがわせるものである。
泰平の世への移行と評価
豊臣秀吉の四国平定によって長宗我部氏が屈すると、やがて南伊予の政治状況も大きく変化した。西園寺氏が没落するなかで、土居清良もまた戦国武将としての役割を終えていった。しかし、寡兵で強敵を退けた知将としての武名と、農書を通じて伝わる民政家としての姿は、南伊予の郷土史のなかで長く敬愛され、今日に至るまで語り継がれている。


















