さとみ よしひろ
| 地域 | 関東(安房・上総) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 里見氏(安房の戦国大名) |
| 大名家 | 里見家 |
| 家紋 | 二つ引両 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 房総の守り手 |
里見義弘(さとみ よしひろ)は、安房の戦国大名・里見義堯の子である。享禄3年(1530年)ごろに生まれ、天正6年(1578年)に亡くなった。父とともに小田原の北条家と戦い、第二次国府台合戦では大敗したが、三船山合戦では北条軍を破り、房総での里見家の勢力を守った。
3行でわかる里見義弘
- 里見義堯の子で、父とともに北条家と戦い続けた
- 第二次国府台合戦で北条氏康に敗れたが、三船山合戦で北条軍を破った
- 晩年に北条家と和睦し、その死後は跡継ぎ争いが起きた
目次
国府台合戦
永禄7年(1564年)、義弘は下総の国府台(千葉県市川市)で北条氏康・氏政の軍と戦った(第二次国府台合戦)。はじめは優勢だったが、北条軍の奇襲を受けて大敗した。
三船山合戦
永禄10年(1567年)、北条氏政の軍が上総に攻めこみ、三船山(千葉県富津市・君津市)に陣を構えた。義弘はこれを破り、北条軍の太田氏資らを討ち取った(三船山合戦)。この勝利で、里見家は上総での勢力を取り戻した。
和睦と死
天正5年(1577年)、義弘は北条家と和睦した(房相一和)。翌年、義弘が亡くなると、子の梅王丸と弟(異母弟とも)の義頼のあいだで跡継ぎ争いが起き、義頼が里見家を継いだ。
里見義弘をめぐる人物
- 父:里見義堯
- 戦った相手:北条氏康/北条氏政
- 跡を継いだ人物:里見義頼
ゆかりの地
- 久留里城跡(千葉県君津市):里見家の本拠
- 国府台城跡(里見公園)(千葉県市川市):国府台合戦の舞台
- 佐貫城跡(千葉県富津市):義弘が拠点とした城


里見義堯
北条氏康
北条氏政







































