すわ よりしげ
| 地域 | 甲信越(信濃・諏訪) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 諏訪氏(諏訪大社の大祝・領主) |
| 大名家 | 諏訪家 |
| 家紋 | 梶の葉 |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 具足・狩衣 |
| 武将タイプ | 神官の武将 |
諏訪頼重(すわ よりしげ)は、信濃の諏訪大社の大祝(最高位の神官)をつとめ、諏訪地方を治めた領主である。永正13年(1516年)に生まれ、天文11年(1542年)に27歳で亡くなった。武田信虎の娘をめとって武田家と結んでいたが、信虎を追放した武田信玄に攻められ、甲府で自害させられた。娘は信玄の側室となり、武田勝頼を産んだ。
3行でわかる諏訪頼重
- 諏訪大社の大祝をつとめる諏訪家の当主で、諏訪の領主だった
- 武田信虎の娘・禰々を妻とし、信玄とは義兄弟の関係にあった
- 天文11年(1542年)、信玄に攻められて降り、甲府で自害させられた
目次
諏訪大社の大祝
諏訪家は、諏訪大社の神をまつる大祝の家で、武士としても諏訪地方を治めていた。頼重は祖父のあとを継いで当主となり、上原城(長野県茅野市)を本拠とした。
天文9年(1540年)、頼重は武田信虎の娘・禰々(ねね)を妻にむかえ、武田家と同盟を結んだ。
信玄の諏訪攻め
天文10年(1541年)、信虎は子の晴信(信玄)に追放された。翌年、信玄は諏訪一族の高遠頼継と組んで諏訪に攻めこんだ。頼重は桑原城にこもったが、和睦の申し入れを受けて降伏した。
しかし頼重は甲府に連れていかれ、東光寺で自害させられた。27歳だった。妻の禰々も、その翌年に亡くなっている。
諏訪の血筋と勝頼
頼重の娘(諏訪御料人)は、のちに信玄の側室となり、天文15年(1546年)に四郎(のちの武田勝頼)を産んだ。勝頼ははじめ諏訪家を継いで「諏訪四郎勝頼」と名のり、諏訪家の血筋は武田家の当主に受け継がれることになった。
諏訪頼重をめぐる人物
- 妻:禰々(武田信虎の娘)
- 娘:諏訪御料人(武田信玄の側室)
- 孫:武田勝頼
- 攻めた相手:武田信玄/高遠頼継
ゆかりの地
- 諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市):頼重が大祝をつとめた神社
- 上原城跡(長野県茅野市):頼重の本拠
- 東光寺(山梨県甲府市):頼重が自害した寺


武田信玄
武田信虎
武田勝頼
板垣信方







































