ほうじょう うじくに
| 地域 | 関東(武蔵・鉢形) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 北条氏(一門) |
| 大名家 | 北条家(藤田氏を継ぐ) |
| 家紋 | 三つ鱗 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 北関東の司令官 |
北条氏邦(ほうじょう うじくに)は、北条氏康の子で、武蔵の鉢形城(埼玉県寄居町)を本拠とした武将である。天文10年(1541年)ごろの生まれとも天文17年(1548年)ごろとも言われ、慶長2年(1597年)に加賀で亡くなった。上野の沼田をめぐって真田家と争い、家臣が起こした名胡桃城事件が、豊臣秀吉の小田原征伐のきっかけとなった。
3行でわかる北条氏邦
- 武蔵の藤田家を継ぎ、鉢形城を本拠に北関東・上野方面を任された
- 家臣・猪俣邦憲が真田家の名胡桃城を奪い、小田原征伐の口実を与えた
- 鉢形城で1か月籠城したのち開城し、命を助けられて前田家にあずけられた
目次
藤田家を継ぐ
氏邦は北条氏康の子として生まれ、武蔵北部の国衆・藤田家の養子となった。鉢形城を本拠として、上野(群馬県)方面の攻略を担当した。
名胡桃城事件
上野の沼田は北条家と真田家が争った土地で、天正17年(1589年)、豊臣秀吉の裁定によって、沼田城は北条家、名胡桃城は真田家のものとされた。ところがその直後、沼田城代だった氏邦の家臣・猪俣邦憲が名胡桃城を奪った。
秀吉はこれを、大名同士の私的な戦いを禁じた命令への違反として責め、北条家討伐を決めた。こうして始まったのが天正18年(1590年)の小田原征伐である。
鉢形城の開城とその後
小田原征伐で、氏邦は鉢形城にこもり、前田利家・上杉景勝らの大軍を相手に約1か月戦ったが、6月に開城した。
兄の氏政・氏照は切腹を命じられたが、氏邦は命を助けられ、前田利家にあずけられた。その後は加賀で暮らし、慶長2年(1597年)に亡くなった。
北条氏邦をめぐる人物
- 父:北条氏康
- 兄弟:北条氏政/北条氏照/上杉景虎
- 養家:藤田家
- 名胡桃城を奪った家臣:猪俣邦憲
- あずけられた先:前田利家
ゆかりの地
- 鉢形城跡(埼玉県大里郡寄居町):氏邦の本拠。日本100名城
- 名胡桃城跡(群馬県利根郡みなかみ町):小田原征伐のきっかけとなった城
- 沼田城跡(群馬県沼田市):北条と真田が争った城


北条氏康
北条氏政
北条氏照
真田昌幸
前田利家
豊臣秀吉






































