おだ のぶひで
| 地域 | 東海(尾張) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 織田弾正忠家(尾張守護代の家臣) |
| 大名家 | 織田家 |
| 家紋 | 織田木瓜 |
| 主武器 | 采配 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 経済力の戦国大名 |
織田信秀(おだ のぶひで)は、織田信長の父で、尾張で大きな力を持った武将である。「尾張の虎」とも呼ばれる。永正8年(1511年)に生まれ、天文21年(1552年)ごろに亡くなった。港町の津島と熱田の富を背景に、駿河の今川家や美濃の斎藤道三と戦い、信長の天下取りの土台をつくった。
3行でわかる織田信秀
- 尾張の守護代の家臣という立場から、尾張で一番の実力者になった
- 津島・熱田の港町を押さえて豊かな財力を持ち、朝廷や伊勢神宮にも献金した
- 今川家・斎藤家と戦い、のちに道三の娘(濃姫)を信長の妻にむかえて和睦した
目次
港町の富を力に
織田信秀の家(織田弾正忠家)は、尾張の守護代・織田大和守家に仕える家老の家柄にすぎなかった。しかし父の代から押さえていた港町の津島に加え、信秀は熱田も手に入れ、商業でえた富を力にのしあがった。
信秀は那古野城を奪い、のちに古渡城、末森城と居城を移しながら勢力を広げた。朝廷に内裏の修理費として銭4千貫を献上し、伊勢神宮の遷宮にも資金を出している。その財力は、のちの信長にも受け継がれた。
今川・斎藤との戦い
信秀は東の今川家と三河をめぐって争い、小豆坂の戦いなどで戦った。また北の美濃にもたびたび攻めこみ、斎藤道三と激しく戦ったが、天文16年(1547年)ごろの加納口の戦いでは大敗している。
東西に敵をかかえた信秀は、やがて道三と和睦し、道三の娘・濃姫を嫡男の信長の妻にむかえた。この縁組が、のちの信長と道三の関係につながっていく。
信秀の死と信長
信秀は天文21年(1552年)ごろ、末森城で病気のため亡くなった(天文20年とする説もある)。葬儀の場で、信長がいつもの奇抜な格好で現れ、抹香を位牌に投げつけたという話が『信長公記』に記されている。
信秀の死後、織田家では信長と弟の織田信勝(信行)が家督を争った。信長が尾張を統一するのは、それから数年後のことである。
織田信秀をめぐる人物
- 子:織田信長/織田信勝(信行)/織田信包/織田長益(有楽斎)/お市の方 ほか
- 戦った相手:今川義元/斎藤道三
- 家臣:平手政秀/林秀貞
ゆかりの地
- 万松寺(名古屋市中区):信秀の葬儀が行われた菩提寺
- 那古野城跡(名古屋城二の丸)(名古屋市中区):信秀が奪い、信長に与えた城
- 末森城跡(名古屋市千種区):信秀が晩年を過ごした城


織田信長
織田信勝
濃姫
斎藤道三
今川義元







































