竹腰尚光 | 美濃斎藤氏の家臣

たけこし なおみつ

地域東海
所属勢力・属性美濃斎藤家臣
大名家斎藤氏
家紋―
主武器太刀
衣装・甲冑実戦具足
武将タイプ美濃斎藤氏の家臣・柳津城主

美濃斎藤氏の家臣。柳津城主とされ、長良川の戦いで戦死した竹腰摂津守の跡を継いだと伝わる。道鎮の子とする説もある。

目次

美濃の竹腰氏と尚光

竹腰尚光は、戦国時代の美濃の武将である。竹腰氏は美濃の在地の武士で、応仁年間に羽栗郡の竹ヶ鼻城に住したと伝えられる。ただし一族が多く、系図ははっきりしない。尚光の生没年も分かっていない。

尚光の立場は資料によって食い違う。柳津城(岐阜市柳津町)の城主・竹腰摂津守が弘治2年(1556年)の長良川の戦いで戦死したのち、その叔父にあたる成吉摂津守尚光が城主となった、と城跡の案内などで紹介されている。一方で、尚光を竹腰道鎮の子とする説明もある。

長良川の戦いと竹腰氏

弘治2年4月、斎藤道三と子の義龍が長良川で戦った。『信長公記』などによると、義龍方の先手を務めた竹腰道鎮は、円陣を組んで長良川を渡り、道三の本陣に迫ったが、討ち取られたとされる。

道鎮は大垣城主とされる。大垣城の築城については、明応9年(1500年)に竹腰尚綱が築いたとする説と、天文4年(1535年)に宮川安定が築いたとする説があり、築城者は特定できていない。大垣市は宮川安定による創建と伝えている。

柳津城跡

柳津城は、文亀年間(1501年ごろ)の築城といわれる。城跡は光澤寺の境内にあり、城址碑や案内板が立つ。旧柳津村には一ヶ城・七ヶ城といった地名が残り、柳津城の出城や砦の跡と考えられている。

江戸時代に尾張藩の付家老となった竹腰正信も竹腰氏の出である。ただし、尚光との系譜上のつながりははっきりしない。

ゆかりの地

  • 柳津城跡(岐阜県岐阜市柳津町本郷、光澤寺境内):尚光が城主だったとされる城。城址碑と案内板がある
  • 大垣城(岐阜県大垣市):竹腰道鎮が城主だったとされ、竹腰尚綱の築城説もある城

参考にした資料

竹腰氏

竹腰氏は、美濃の大垣のあたりに根を張った一族とされます。のちに尾張藩の付家老となった竹腰正信の家も、この流れに関わるといわれます。

長良川の戦い

弘治2年(1556年)、斎藤道三と子の義龍が長良川で戦い、道三は討たれました。美濃の国衆たちは、どちらにつくかで分かれました。

柳津

尚光ゆかりの柳津は、今の岐阜市南部の地名です。長良川と境川に近く、美濃と尾張を結ぶ道の上にありました。

斎藤道三と義龍

長良川の戦いは、斎藤道三と子の義龍が争った戦いです。美濃の家臣たちは、どちらにつくかを迫られました。

評価

尚光は、斎藤道三と義龍の争いの時代を生きた美濃の竹腰氏の一人です。その名は、柳津の城跡とともに伝えられています。

このイラストについて

このイラストは、夕暮れの川辺に、采配を手に立つ尚光を描いています。

落ち着いた顔つきと、紋の入った羽織で、一族を率いる武将の姿を表しました。

かがり火の灯る川岸は、長良川の戦いのころの美濃の夜をイメージしています。

※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。

斎藤家

美濃の戦国大名。斎藤道三(利政)は守護の土岐氏を追い出して美濃を手に入れたが、1556年の長良川の戦いで子の義龍に討たれた。

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主家

家臣団

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