楯岡満茂 | 湯沢城・本荘城主。由利郡を治めた最上一族

たておか みつしげ

地域東北
所属勢力・属性最上家臣(最上一族・楯岡氏)
大名家最上氏
家紋―
主武器太刀・采配
衣装・甲冑黒漆具足
武将タイプ一門・名将

楯岡満茂は最上氏の一族楯岡氏の出身で、最上義光の重臣である。仙北の湯沢城を守って小野寺氏に備え、関ヶ原の戦い後は由利郡を与えられて本城城(本荘城)を築き、本城満茂と名乗った。最上家改易後は酒井忠世に預けられた。

目次

最上一族の楯岡氏

楯岡満茂は弘治2年(1556)生まれとされ、最上義光より10歳年下である。楯岡氏は最上氏の分家筋の一族で、出羽国村山郡の楯岡城(現在の山形県村山市)を本拠とした。満茂も楯岡城主として楯岡を名乗ったとされる。父を楯岡義郡とする系譜があり、義光の弟とする説もあるが、確かではない。

仙北・湯沢での守り

最上氏は出羽国の仙北地方(現在の秋田県南部)へ勢力を広げ、小野寺氏と争った。満茂は文禄4年(1595)に湯沢城を奪い、その城を与えられて湯沢氏を称したとされる。最上義光歴史館の解説では「湯沢豊前守」と呼ばれ、秋田南部での領地拡大と支配にあたったとする。

慶長5年(1600)の慶長出羽合戦では、最上氏は上杉景勝の軍と戦った。このとき満茂は上杉勢との戦いには加わらず、湯沢にとどまって小野寺氏への押さえを務めたとされる。

由利郡と本城城

関ヶ原の戦い後、最上氏は加増され、由利郡も領地となった。満茂は慶長7年(1602)から9年頃に由利郡へ入り、まず赤尾津(現在の由利本荘市松ヶ崎・亀田付近)を拠点とした。北の佐竹氏への備えとしての配置である。分限帳では知行4万5千石とされ、大名並みの石高であった。

のち子吉郷に本城城(本荘城)を築き、本城氏を名乗った。築城は慶長15年(1610)とも、同18年頃ともいわれる。「本荘」の地名はこの城の名に由来するとされる。

最上家改易の後

元和8年(1622)、最上氏は改易され、本城城は幕府の命令で取り壊された。満茂は幕府の重臣で上野国前橋藩主の酒井忠世に預けられ、のち酒井家に仕えた。待遇は3千石とも1200石ともいわれる。寛永16年(1639)に84歳で没し、前橋の長昌寺に葬られた。

ゆかりの地

  • 楯岡城跡(山形県村山市):楯岡氏の本拠
  • 本荘城跡・本荘公園(秋田県由利本荘市):満茂が築いた本城城の跡
  • 長昌寺(群馬県前橋市):満茂の墓所とされる寺

参考にした資料

最上家

主家

家臣団

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