どい きよよし
| 地域 | 四国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 西園寺家臣 |
| 大名家 | 西園寺 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 「農の武人」・名将 |
南伊予三間城主。清良の事績は、江戸時代初めに一族の土居水也がまとめたとされる軍記『清良記』に描かれている(巻七は日本最古級の農書として知られる)。長宗我部軍を何度も撃退した知将。「農の武人」・名将と評され、周囲からの信頼も厚かったと伝わる。
伊予の大森城主
清良は、伊予の南部、宇和郡の大森城を本拠とした武将です。1546年に生まれました。
西園寺家に仕える
清良は、伊予の南部を治めた西園寺家に仕えました。
父と一族の死
清良の父や一族は、土佐の一条家との戦いで命を落としたとされます。清良は幼くして苦しい境遇に置かれました。
大森城を取り戻す
清良は成長して大森城を取り戻し、土居家を再興しました。
戦上手
清良は、少ない兵で大軍を退けるなど、戦上手として知られたと伝えられます。
長宗我部家との戦い
土佐の長宗我部元親が伊予に攻め込むと、清良は西園寺家の武将として長宗我部軍と戦いました。
西園寺家の滅亡
1585年、豊臣秀吉の四国攻めの後、西園寺家は滅び、伊予は秀吉の家臣たちが治めることになりました。
武士をやめる
清良は、その後武士としての道を離れ、伊予の地で暮らしたとされます。
清良記
清良の生涯は、『清良記』という書物にまとめられています。
日本最古の農書
『清良記』の中の第7巻「親民鑑月集」は、農業について詳しく記した部分で、日本で最も古い農書の一つとされています。
農業を重んじた領主
『清良記』では、清良が農業を重んじ、米や作物の育て方、土地の使い方などについて家臣と語り合う様子が描かれています。
成立の時期
『清良記』は、清良の死後、江戸時代のはじめにまとめられたものと考えられています。そのため、すべてが清良の時代の事実とはいえない部分もあります。
最期
清良は1629年に亡くなりました。
清良を祀る
愛媛県宇和島市には、清良を祀る神社があり、地元で大切にされています。
宇和郡
清良が治めた宇和郡は、伊予の南西部にあたり、現在の愛媛県宇和島市などのあたりです。
西園寺家
伊予の西園寺家は、京都の公家・西園寺家の流れをくむ家で、伊予の南部に勢力を持っていました。
農書の価値
『清良記』の農業の記述は、戦国時代から江戸時代のはじめの農業の様子を知る貴重な手がかりとして、研究者にも重んじられています。
清良の評価
清良は、伊予の小さな領主として戦乱の世を生き抜き、農業を重んじた姿が『清良記』に描かれた人物です。その名は、日本の農業の歴史の中でも知られています。
このイラストについて
甲冑姿の武将が巻物を手にし、稲を刈る人々の田畑と山城を背にした姿です。
巻物と田畑で働く人々は、農業を重んじた清良と、日本最古の農書の一つとされる『清良記』をイメージしています。背景の山城は、清良の本拠であった伊予の大森城を思わせるものです。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
伊予の南部、宇和郡を本拠とした家で、公家の西園寺氏の一族。黒瀬城などを拠点とした。
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