脇坂安治 | 賤ヶ岳七本槍の一人。脇坂水軍を率い文禄・慶長の役や関ヶ原で水陸両面の戦術を展開

わきさか やすはる

地域近畿・四国
所属勢力・属性賤ヶ岳七本槍
大名家賤ヶ岳七本槍
家紋輪違い
主武器大槍・焙烙玉
衣装・甲冑水軍具足
武将タイプ臨機応変

賤ヶ岳七本槍の一人。脇坂水軍を率い文禄・慶長の役や関ヶ原で水陸両面の戦術を展開。

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賤ヶ岳七本槍・脇坂安治

脇坂安治(わきさか やすはる)は、豊臣秀吉に仕えた武将で、賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられる勇将です。のちには水軍を率いる将としても活躍し、水陸両面で武功を挙げました。

賤ヶ岳の七本槍

天正11年(1583年)、羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いで、脇坂安治は目覚ましい武功を挙げ、加藤清正・福島正則らとともに「七本槍」と称えられました。これが、秀吉の家臣としての出世の足がかりとなります。

脇坂水軍

脇坂安治は、やがて水軍を率いる将となり、その手腕を発揮しました。文禄・慶長の役(朝鮮出兵)では、海上での戦いに従軍し、水陸両面にわたる戦術を展開しています。

関ヶ原と家の存続

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、当初は西軍に属しながら東軍に通じ、小早川秀秋らとともに寝返って東軍勝利に貢献しました。この機転によって、脇坂家は江戸時代を大名として存続します。脇坂安治の生涯は、賤ヶ岳の七本槍から水軍の将へと転じ、臨機応変の立ち回りで家を保った武将の姿を今に伝えています。

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