しょうせいおう
| 地域 | 琉球 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 琉球王国 |
| 大名家 | 琉球王国 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 王冠・行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 豪華王朝衣装 |
| 武将タイプ | 名君・防衛強化 |
尚清王は琉球王国第二尚氏の第4代国王。尚真王の五男で、1527年から1555年まで在位した。奄美大島の与湾大親を討ち、首里城の城壁を二重にし、那覇港に屋良座森城を築くなど、倭寇に備えた防衛を固めた。『おもろさうし』第一巻の編纂でも知られる。
尚真王の後を継いだ国王
尚清王は1497年に生まれた。父は第3代国王の尚真王で、その五男である。1526年に尚真王が没し、翌1527年に即位した。在位は1555年までの約28年に及ぶ。神号は「天続之按司添(てにつぎのあんじおそい)」という。
尚真王は中央集権を進め、王国の基礎を築いた王である。尚清王はその体制を受け継いだ。即位にあたっては、明が王位継承の正当性を疑い、再調査が行われたとされる。琉球側の説明で承認され、1534年に明の冊封(皇帝による国王任命)を受けた。
奄美大島への出兵
1537年、奄美大島の与湾大親(よわんうふや)に謀反の動きがあるとして、兵を送って討った。大親は島の有力者に与えられた役職名である。のちに、この謀反の嫌疑は他の大親による讒言だったと伝わる。与湾大親の子孫は王府に取り立てられ、馬氏小禄殿内(まうじおろくどぅんち)として続いた。
首里城と那覇港の防備
16世紀の東アジアの海では、倭寇と呼ばれる武装集団の活動が激しかった。尚清王はこれに備え、防衛施設を整えた。1544年から1546年にかけて、首里城の東南側の城壁を二重にする大工事を行ったとされる。
那覇港の南岸には屋良座森城(やらざもりぐすく)を築いた。港の入口を守る砲台を兼ねた城で、1554年の築造とされる(1553年とする資料もある)。港口の北岸の三重城とあわせ、那覇港を守る拠点となった。
文化事業と王位の継承
1531年には、沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』の第一巻を編んだ。古琉球の神歌を集めたもので、琉球の言葉と信仰を知る重要な史料である。
また、廃嫡された兄の尚維衡を玉陵(王家の墓)に移して葬ったとされる。1555年に59歳で没した。死後に王子たちの間で継承争いが起きたが、生前に後継と定めていた第2王子の尚元王が即位した。
ゆかりの地
- 首里城(那覇市):尚清王の代に東南側の城壁を二重にする工事が行われたとされる
- 屋良座森城跡(那覇市):那覇港の南岸に築かれた港口防衛の城
















