きん ちょうこう
| 地域 | 琉球 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 琉球王国・摂政 |
| 大名家 | 琉球王国 |
| 家紋 | 丸に三つ巴 |
| 主武器 | 行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 豪華王朝衣装 |
| 武将タイプ | 摂政・国家の骨格 |
尚寧王・尚豊王の時代に琉球の摂政を務め、島津侵入後の壊滅的な事態から琉球の行政体制を再構築した。
目次
琉球の摂政・金武朝興
金武朝興(きん ちょうこう)は、日本の南方に栄えた独立国・琉球王国の高官で、尚寧王・尚豊王の時代に王国の摂政(せっせい)を務めた人物です。摂政は、国王を補佐して政務を統括する、琉球王府の最高位の役職でした。
薩摩の琉球侵入
慶長14年(1609年)、薩摩の島津氏が琉球へと侵攻し、王国を制圧するという大事件が起こりました。この「島津の琉球侵入」によって、琉球王国は薩摩の支配下に置かれ、その独立は大きく揺らぐことになります。
壊滅的な事態からの立て直し
金武朝興は、この島津侵入後の壊滅的な事態のなかで、摂政として琉球の行政体制を立て直す重責を担いました。薩摩の支配を受けながらも、いかに王国の体制を保ち、民を治めていくか——それは、極めて困難な舵取りでした。
王国存続への尽力
金武朝興らの努力によって、琉球王国は、薩摩の支配下にありながらも、中国(明・清)への朝貢を続ける「日中両属」という独特の形で存続していきます。金武朝興の生涯は、島津侵入という国難のなかで、琉球の行政体制を立て直し、王国の存続を支えた摂政の姿を今に伝えています。




















