武田信廉(逍遙軒) | 信玄の弟で信玄の影武者をつとめたと伝わる。絵の名手でもあった

武田信廉のイラスト(イメージ)

たけだ のぶかど

地域甲信越(甲斐)
所属勢力・属性武田氏(信玄の弟)
大名家武田家
家紋武田菱
主武器―(采配)
衣装・甲冑具足・法体
武将タイプ影武者・絵師

武田信廉(たけだ のぶかど)は、武田信虎の子で、武田信玄の弟である。出家後の逍遙軒(しょうようけん)の名で知られる。享禄5年(1532年)ごろに生まれ、天正10年(1582年)に織田方に捕らえられて処刑された。信玄に顔がよく似ていたため、信玄の影武者をつとめたと伝わる。絵にもすぐれ、父母の肖像画を残した。

3行でわかる武田信廉
  • 信玄の弟で、信玄によく似ていたため影武者をつとめたと伝わる
  • 父・信虎と母・大井夫人の肖像画を描いた絵の名手だった
  • 武田家滅亡のときに捕らえられ、処刑された
目次

信玄の影武者

信廉は信玄の弟で、信濃の高遠城主・大島城主などをつとめた。顔が信玄によく似ていたため、戦場で信玄の影武者をつとめたという話が『甲陽軍鑑』などに伝わる。信玄の死後、その死を3年間隠すため、信廉が信玄のふりをしたともいわれる。

絵の名手

信廉は絵にもすぐれていた。父の武田信虎と母の大井夫人の肖像画は信廉が描いたもので、今も山梨県の寺に残っている。武将でありながら芸術にも通じた人物だった。

武田家の滅亡

天正10年(1582年)、織田軍が攻めこむと、信廉は伊那の大島城を守っていたが、城を捨てて甲斐に退いた。武田家が滅ぶと、信廉は織田方に捕らえられ、処刑された。

武田信廉をめぐる人物

  • 父母:武田信虎/大井夫人
  • 兄:武田信玄/武田信繁
  • 甥:武田勝頼/仁科盛信

ゆかりの地

  • 大泉寺(山梨県甲府市):信廉が描いた武田信虎の肖像画が伝わる寺
  • 長禅寺(山梨県甲府市):信廉が描いた大井夫人の肖像画が伝わる寺
  • 大島城跡(長野県下伊那郡松川町):信廉が守った城
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