いまがわ うじてる
| 地域 | 東海(駿河・遠江) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 今川氏(駿河守護) |
| 大名家 | 今川家 |
| 家紋 | 赤鳥 |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 直垂・具足 |
| 武将タイプ | 若き当主 |
今川氏輝(いまがわ うじてる)は、駿河の戦国大名・今川氏親の長男で、今川義元の兄である。永正10年(1513年)に生まれ、天文5年(1536年)に24歳で急死した。13歳で家を継ぎ、はじめは母の寿桂尼が政治を助けた。氏輝の急死は、弟たちによる跡継ぎ争い「花倉の乱」を招き、義元が今川家の当主となるきっかけとなった。
3行でわかる今川氏輝
- 今川氏親と寿桂尼の長男で、13歳で今川家を継いだ
- 若いうちは母の寿桂尼が政治を助け、のちに自ら国を治めた
- 24歳で急死し、跡継ぎ争いの花倉の乱をへて弟の義元が当主となった
目次
若き当主
大永6年(1526年)、父の今川氏親が亡くなり、氏輝は13歳で家を継いだ。若い氏輝に代わって、母の寿桂尼が文書を出して政治を助けた。
成長した氏輝は自ら政治を行い、甲斐の武田信虎と戦ったり、相模の北条家と協力したりして、今川家の力を保った。和歌などの文化にも親しんだと伝わる。
急死と花倉の乱
天文5年(1536年)3月、氏輝は24歳で急死した。同じ日に弟の彦五郎も亡くなったとされ、死因ははっきりしない。
跡継ぎをめぐって、出家していた弟の栴岳承芳(のちの今川義元)と、異母兄の玄広恵探が争った(花倉の乱)。寿桂尼と太原雪斎に支えられた承芳が勝ち、還俗して今川義元と名のった。
今川氏輝をめぐる人物
- 父母:今川氏親/寿桂尼
- 弟:今川義元/今川彦五郎/玄広恵探(異母兄)
- 戦った相手:武田信虎
ゆかりの地
- 駿府城公園(今川館跡)(静岡市葵区):今川家の本拠の地
- 臨済寺(静岡市葵区):氏輝の菩提寺。義元と雪斎ゆかりの寺


今川義元
寿桂尼
太原雪斎
武田信虎







































