いその かずまさ
| 地域 | 近畿(北近江) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 浅井氏(重臣)→ 織田氏 |
| 大名家 | 磯野家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 猛将 |
磯野員昌(いその かずまさ)は、北近江の浅井家に仕えた猛将である。大永3年(1523年)に生まれ、天正18年(1590年)に亡くなった。佐和山城主として浅井家の南の守りを担い、元亀元年(1570年)の姉川の戦いでは織田軍の陣を次々と突き崩したと伝わる。のちに織田信長に降った。
3行でわかる磯野員昌
- 浅井家の重臣で、佐和山城主として南近江の六角家に備えた
- 姉川の戦いで織田軍の陣を何段も破ったと伝わる
- 佐和山城を開いて信長に降り、高島郡を与えられたが、のちに出奔した
目次
浅井家の猛将
員昌は浅井家の重臣で、佐和山城(滋賀県彦根市)の城主として、南近江の六角家との最前線を守った。
姉川の戦い
元亀元年(1570年)の姉川の戦いで、員昌は浅井軍の先鋒として織田軍に突撃した。織田軍が13段に構えた陣のうち11段までを突き破ったとする「姉川十一段崩し」の話が伝わる。ただし、この話は後世の軍記物によるもので、誇張があると考えられている。
戦いは織田・徳川軍の勝利に終わり、員昌の佐和山城は浅井家の本拠・小谷城から切り離されて孤立した。
信長への降伏
元亀2年(1571年)、員昌は佐和山城を開いて信長に降った。信長は員昌を近江の高島郡の領主とし、信長の甥・津田信澄を員昌の養子とした。
しかし天正6年(1578年)、員昌は信長の怒りを買って高島を出奔し、領地は信澄に引き継がれた。その後の員昌については記録が少なく、天正18年(1590年)に亡くなったとされる。
磯野員昌をめぐる人物
- 主君:浅井久政/浅井長政 → 織田信長
- 養子:津田信澄(信長の甥)
- 姉川で戦った相手:織田信長/徳川家康
ゆかりの地
- 佐和山城跡(滋賀県彦根市):員昌が城主をつとめた城
- 姉川古戦場(滋賀県長浜市):員昌が奮戦した戦場


浅井長政
織田信長
浅井久政







































