しばた かついえ
| 地域 | 北陸・東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 織田家臣 |
| 大名家 | 柴田氏 |
| 家紋 | 二つ雁金 |
| 主武器 | 大槍・采配 |
| 衣装・甲冑 | 黒糸威具足 |
| 武将タイプ | 「鬼柴田」・剛勇 |
柴田勝家は尾張国の織田家譜代の家臣の家に生まれた。若き日は織田信長の弟・信行を擁立して謀反を企てたが、信長との稲生の戦いに敗れて降伏。以後は一転して信長への忠誠を尽くし、その武勇と統率力を高く評価されて織田家筆頭家老の地位にまで上り詰めた。
「瓶割り柴田」の異名は、ある籠城戦において水源を断たれ士気が下がる中、勝家自らが貴重な水甕を割り、これ以上の籠城は不可能だと兵に決死の覚悟を促して敵陣へ突撃させ、勝利を収めたという逸話に由来する。姉川の戦いや石山合戦など織田軍の主要な合戦で武功を重ね、その勇猛さは家中随一と謳われた。
信長からは北陸方面軍の総大将に任じられ、加賀の一向一揆や越後の上杉軍の南下を防ぐ重責を担った。越前北ノ庄城を拠点に、盟友であった前田利家・佐々成政・不破光治ら有力武将を与力として率い、北陸方面における織田領国の防衛と拡大に尽力した。
本能寺の変後の清洲会議では、織田家の後継をめぐり羽柴秀吉と激しく対立。信長の妹・お市の方を妻に迎えて織田家の権威を後ろ盾としたが、1583年の賤ヶ岳の戦いで秀吉に大敗を喫し、本拠・北ノ庄城まで追い詰められる。
天正11年4月、もはやこれまでと悟った勝家は、お市の方とともに城に火を放ち、壮絶な最期を遂げた。3人の娘(茶々・初・江)を城から脱出させたこの最期は、後に豊臣・徳川両家と縁を結ぶことになる娘たちの数奇な運命の始まりでもあった。
剛勇一辺倒ではなく統率力にも優れ、織田家臣団随一の宿老として重んじられたその生涯は、下剋上の時代における忠義と武勇の体現者として、今なお語り継がれている。

