唐獅子図屏風とは ── 狩野永徳が描いた金地の大獅子と、左隻を継いだ曾孫・常信

金地の屏風に二頭の唐獅子を描く狩野永徳のイメージ画

2026年の大河ドラマ第38回では、絵師・狩野永徳が登場し、筆づくりにたけた才蔵との場面が描かれた。永徳といえば安土城や大坂城の障壁画で知られるが、その多くは建物とともに失われている。ローマへ贈られたとされる安土山図屏風も行方が分からない。そんななかで、永徳の筆が確かに残る代表作が「唐獅子図屏風」である。金地に二頭の巨大な獅子が闊歩するこの屏風は、天下人の時代の絵師の力をいまに伝えている。

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どんな作品か ── 金地に二頭の大獅子

唐獅子図屏風は六曲一双の屏風で、一隻はおよそ縦二・二メートル、横四・五メートルという堂々たる大画面である。紙本金地着色、つまり金箔を一面に貼った上から濃い絵の具で描く手法で、背景の金と、青みを帯びた獅子の体毛、たてがみに置かれた群青や緑青が鮮やかに映える。描かれるのは、肩を怒らせ、ゆったりと歩む二頭の唐獅子。唐獅子は中国から伝わった想像上の霊獣で、災いを払い、権威を象徴する画題として武家に好まれた。天下人の御前や城の広間を飾るにふさわしい、力と華やかさを兼ね備えた一作である。

右隻は永徳、左隻は曾孫・常信 ── 百年の時間差

この屏風で見逃せないのが、右隻と左隻が別の絵師、別の時代の手になるという点である。右隻を描いたのは狩野永徳(一五四三〜九〇)その人で、桃山時代十六世紀の作。国宝に指定されている。いっぽう左隻は、永徳の曾孫にあたる狩野常信(一六三六〜一七一三)が、江戸時代十七世紀になって描き足したもので、右隻の国宝に附属する「国宝附(つけたり)」という扱いになっている。なぜ片方だけが永徳なのかは、もともと一双そろっていた片方が失われたとも、はじめから一隻だけだったともいわれ、はっきりしない。いずれにせよ、百年近い時を隔てて曾孫が祖の大作に筆を合わせ、一双に仕立てたことになる。家の様式を代々受け継ぐ狩野派だからこそ成し得た、時間を超えた共作といえる。狩野派という画工集団の広がりについては永徳のライバルと弟子たちでも触れた。

なぜ毛利家にあったのか ── 伝来と皇室献上

唐獅子図屏風は、長く長州藩主・毛利家に伝えられてきた。秀吉から毛利へ渡ったとする言い伝えもあるが、その経緯ははっきりしない。確かなのは、明治二十一年(一八八八)に毛利元徳から皇室へ献上されたことで、以後は御物となった。現在は皇居東御苑の三の丸尚蔵館に収められ、折々に公開されている。戦乱で多くが焼けた桃山の障壁画のなかで、大名家の宝として大切に守り継がれたからこそ、永徳の筆が今日まで残ったのである。

秀吉が永徳に描かせたもの ── そのほとんどは失われた

永徳は秀吉のためにも数多くの絵を手がけた。とりわけ大きかったのが、大坂城の障壁画(一五八五年ごろ)と聚楽第の障壁画(一五八七年)である。いずれも秀吉の権勢を示す一大事業で、永徳は一門を率い、金地に松や鷹、花鳥を大画面で描き埋めたと伝わる。さらに、秀吉が母のために建てた天瑞寺の障壁画(一五八八年)や、朝廷まわりの御所の障壁画も残した。ところが、これら秀吉時代の障壁画は、建物の焼失や取り壊しとともにことごとく失われ、今日では一面も残っていない。天下人の城を飾った永徳の絵の多くは、こうして「見ることのできない名画」になってしまった。だからこそ、大名家に守られて現存した唐獅子図屏風の価値がいっそう際立つ。信長の安土城の障壁画も焼け、秀吉の大坂城・聚楽第の障壁画も消えた——そのなかで、金地を闊歩する二頭の大獅子だけが、永徳の筆の力をいまに伝えているのである。

消えた屏風、残った屏風 ── 永徳の画業のなかで

永徳は、信長の安土城、秀吉の大坂城や聚楽第といった天下人の城を、金碧障壁画で次々に飾った。だがそれらは建物の運命とともにほとんど失われ、完全な姿で残る作品はごくわずかしかない。安土城を描いてローマへ贈られたという安土山図屏風も、長く行方が知れないままである。そうした「消えた永徳」が多いなかで、唐獅子図屏風は「残った永徳」として際立つ。配役としての永徳像や生涯は狩野永徳とはに、同じ時代を生きた絵師たちは永徳のライバルと弟子たちにまとめている。

大河第38回と永徳の筆

第38回では、永徳が献上された筆を一度突き返し、獣毛の配合を練り直した筆でようやく思うような線を引く場面があった。唐獅子図屏風のような大画面を、迷いのない太い線で一気に描き切るには、穂先のまとまりと弾力が命になる。永徳が筆にこだわったという描写は、この大獅子の勢いを思えば腑に落ちる。奈良の筆づくりの背景は奈良筆とはに、大河第38回のタイトルに込められた意味は「和を以て、大和をなす」とは何かで読み解いている。

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