2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第37回・第38回で、間宮祥太朗が演じる職人がいます。才蔵(さいぞう)、奈良から大和郡山へ移ってきた筆屋の主人です。才蔵は実在したのか。そして、奈良の商人が郡山で店を開くことには、どんな意味があったのか。秀長の城下町づくりと、奈良の筆の歴史からひもときます。
ドラマの才蔵 ― 奈良を出て郡山で店を開く筆屋
NHKの紹介によると、才蔵は筆屋の主人です。筆づくりの腕は確かで、もとは奈良に店を構えていましたが、ある決意を胸に大和郡山で新たに商いを始めます。大和の国主となった豊臣秀長(仲野太賀)と深く関わる、城下の人々の一人です。演じる間宮祥太朗は、秀長役の仲野太賀とは親しい間柄で、今回の出演で共演がかないました。
才蔵は実在したのか
「才蔵」という名の筆屋を、秀長の時代の史料で確かめることはできません。キャスト発表でも実在のモデルには触れられておらず、ドラマのために生み出された人物とみられます。なお、戦国武将図鑑で紹介している「笹の才蔵」こと可児才蔵とは別人です。
ただし、「奈良の商人が郡山へ移る」という筋書きそのものは、史実の秀長の政策にしっかり根ざしています。
秀長は奈良の商いを止め、郡山に集めた
天正13年(1585年)に郡山城へ入った秀長は、城下町を一から整え、そこに商人を集めようとしました。奈良県の観光公式サイトでは、この年の出来事として「秀長は奈良における一切の商売を止め、郡山にて売買させる」と紹介されています。長く大和の経済の中心だった奈良の町から商いを移し、新しい城下町・郡山を大和の中心にしようとしたのです。
奈良は興福寺や東大寺の門前町として栄えてきた町です。そこでの商いを止めることは、寺社の経済的な力を弱めることにもつながりました。検地で寺社の土地を削った政策(「戦国時代の年貢は誰に納めた?」参照)と、町づくりは表裏一体だったといえます。
一方で、住み慣れた奈良を離れることに抵抗した商人もいたはずです。才蔵が抱く「ある決意」は、こうした時代の分かれ目で、新しい町に賭けた人の決断として描かれるのでしょう。
箱本十三町 ― 商人に特権を与えた町のしくみ
秀長は、郡山に移った商人や職人に特権を与えました。それが、のちに「箱本(はこもと)制度」と呼ばれる町のしくみです。
- 特権:町ごとに地子(宅地にかかる税)を免除するなどの特権を与え、同じ業種の町には独占的な営業を認めた。紺屋町に出された許可状には「他の町に一軒も紺屋を建ててはならない」とある
- 務め:そのかわり各町は、町の警護・火事への対応・伝馬(荷物や人を運ぶ馬の用意)を、1か月ごとの当番で受け持った
- 名前の由来:特権を認めた書類を納めた「御朱印箱」を、当番の町が預かったことから「箱本」と呼ばれた
箱本の町は、綿町・紺屋町・本町・今井町・奈良町・堺町・藺町・柳町・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町の十三町とされます(鍛冶町を加えて十四町と数える資料もあります)。成立は天正15年(1587年)ごろと考えられています。町名には職業にちなむものと、奈良町・堺町・今井町のように、同じ土地から移ってきた人々が住んだことを示すものがあります。奈良から移った才蔵のような商人は、まさにこうした町の住人でした。
この制度は町の人々の自治として江戸時代を通じて受け継がれ、郡山の町の骨組みとして今も町名に名残をとどめています。
奈良の筆 ― 空海の伝承から続く名産
才蔵が筆屋であることにも意味があります。奈良は古くから筆の産地でした。伝承では、空海が唐で筆の作り方を学び、帰国後に大和国の職人に作らせて嵯峨天皇に献上したのが始まりとされます。のちに筆づくりの中心は奈良の町へ移り、寺社の多い奈良では、写経や記録に使う筆が欠かせませんでした。
奈良の筆は江戸時代にも名産として知られ、「奈良筆」は昭和52年(1977年)に国の伝統的工芸品に指定されています。ただし、戦国時代に郡山で筆づくりが盛んだったことを示す史料は見当たりません。筆屋・才蔵の郡山での商いは、ドラマならではの設定と考えてよいでしょう。
まとめ
- 才蔵は史料で確かめられない人物で、ドラマの創作とみられる
- 史実の秀長は、奈良での商売を止めて郡山に商いを集め、新しい城下町を大和の中心にしようとした
- 郡山の町には地子免除や営業の独占が認められ、のちの「箱本十三町」の自治につながった
- 奈良は空海の伝承をもつ筆の産地。奈良筆は現在、国の伝統的工芸品
秀長の大和統治は、検地で寺社と向き合う一方、城下町に人を集めて国の形そのものを作り変える仕事でもありました。才蔵の店が郡山に根づくかどうかは、秀長の町づくりの成否を映す鏡になりそうです。






















