真壁久幹 | 常陸真壁城主、真壁氏幹の父

まかべ ひさもと

地域常陸国真壁郡(茨城県桜川市)
所属勢力・属性小田氏→結城氏→佐竹氏
大名家真壁家
家紋―
主武器刀・鉄砲
衣装・甲冑当世具足
武将タイプ猛将

真壁久幹は、常陸国真壁郡を治めた国衆・真壁氏の当主である。小田氏や結城氏の間で揺れたのち、佐竹氏に味方して手這坂の戦いで活躍した。武勇で知られる真壁氏幹の父でもある。

目次

430年続いた真壁氏

真壁氏の起こりは平安時代の末にさかのぼる。承安2年(1172)、平長幹が真壁郡の郡司として真壁郷に入り、真壁を名字とした。常陸平氏の一族である。

真壁城は、この長幹が築いたと考えられている。城跡は国の史跡に指定され、桜川市による発掘調査が進められている。真壁氏はここを本拠に、のちに出羽へ移るまで約430年、19代にわたって真壁の地を治めた。

小田・結城の間で

久幹は大永2年(1522)に生まれた。はじめは常陸南部の大名小田氏に従う領主であった。しかし天文17年(1548)に小田政治が亡くなると、下総の結城政勝の側についたとされる。

永禄3年(1560)には常陸府中の大掾慶幹を攻めたが、古河公方足利義氏の仲立ちで和睦したという。周囲の大名にはさまれた国衆として、味方を選びながら家を守った。

佐竹方として手這坂で勝利

永禄4年(1561)ごろから、久幹は常陸北部の佐竹義昭に味方するようになった。以後、佐竹氏と結んで小田氏と戦った。

永禄12年(1569)の手這坂の戦いでは、太田資正・梶原政景親子らとともに小田氏治の軍を破った。このとき久幹の配下の根来法師が鉄砲で敵将を狙い撃ち、勝利に貢献したと伝わる。根来法師とは、鉄砲の扱いにすぐれた紀伊の根来寺の僧兵のことである。この戦いで小田氏は大きく力を落とし、常陸南部での佐竹方の優位が固まった。

子の氏幹と秋田移封

久幹はのちに嫡男の氏幹に家督を譲って隠居し、天正17年(1589)に没した。その翌年には豊臣秀吉の小田原攻めがあり、関東の勢力図は大きく変わった。氏幹は天文19年(1550)生まれで、勇猛さから「鬼真壁」と呼ばれた武将として知られ、樫の木の大きな棒をふるって戦ったという話も伝わる。

真壁氏はやがて佐竹氏の家臣となった。関ヶ原の戦いののち、慶長7年(1602)に佐竹氏が出羽秋田へ移されると、真壁氏も一族が秋田へ移り、長く治めた真壁の地を離れた。ただし多くの家臣は真壁に残り、その後の町の発展を支えたという。今も古い町並みが残る真壁の町には、真壁氏の時代からの歴史が受けつがれている。

ゆかりの地

  • 真壁城跡(茨城県桜川市真壁町古城):真壁氏代々の居城。国史跡で発掘調査が続く

参考にした資料

真壁久幹とは

真壁久幹は、常陸の真壁城を本拠とした真壁氏の当主です。

真壁氏

真壁氏は、鎌倉時代から常陸の真壁を治めた一族で、長い歴史を持つ家でした。

手這坂の戦い

永禄12年(1569年)、久幹は佐竹方として手這坂の戦いで小田氏治を破りました。

評価

久幹は、真壁氏の当主として佐竹家に従い、手這坂の勝利に貢献した武将です。子の氏幹は「鬼真壁」と呼ばれました。

このイラストについて

このイラストは、山と城を背に、白髪の久幹を描いています。

白いひげと深いしわの刻まれた顔で、長く家を守った老将の風格を表しました。

山と城は、真壁氏の本拠・真壁城をイメージしています。

※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。

佐竹家

清和源氏の流れをくむ常陸の名門。佐竹義重は「鬼義重」とも呼ばれ、関東へ勢力を広げる北条氏と争い、南奥州にも進出して伊達政宗とも戦った。

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主家

家臣団

佐竹義宣真壁房幹
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