うきた ひでいえ
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 宇喜多氏 |
| 大名家 | 宇喜多氏 |
| 家紋 | 剣片喰 |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 黒漆具足 |
| 武将タイプ | 「五大老」・悲劇 |
宇喜多直家の子。幼くして家督を継ぎ、豊臣秀吉の猶子として寵愛を受けて成長した。秀吉の後押しで備前・美作・播磨の一部にまたがる57万石の大大名となり、豊臣政権では最年少ながら五大老の一人に列せられた。文禄・慶長の役では奉行として朝鮮に渡り、明・朝鮮連合軍との戦いで軍功を挙げている。関ヶ原の戦いでは西軍の中心として石田三成方に与し、宇喜多軍は開戦当初から東軍の福島正則隊と激しく渡り合う獅子奮迅の働きを見せたが、小早川秀秋の裏切りにより戦局は一変し西軍は総崩れとなった。敗戦後は伊吹山中に逃れ、のち薩摩の島津氏を頼って落ち延びるが、徳川家康の追及を受け身柄を引き渡される。死一等を減じられて八丈島への流罪となり、以後50年近くにわたり同島で余生を送った。豊臣政権を支えた最後の五大老の一人として、その数奇な運命は今なお語り継がれている。

