辺春親行 | 和仁親実の姉婿とされる武将

へばる ちかゆき

地域九州
所属勢力・属性肥後国人
大名家肥後国人
家紋―
主武器太刀
衣装・甲冑実戦具足
武将タイプ田中城籠城の将(裏切りの伝承あり)

和仁親実の姉婿とされる武将。天正15年の肥後国衆一揆で田中城に籠城したが、熊本県の解説では、その裏切りによって田中城が落城したとされる。

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辺春親連と辺春親行

田中城の籠城で名前が伝わる辺春氏の人物は、辺春親行(へばる ちかゆき)である。「辺春親連」の名は、今回調べた範囲では確認できなかった。このページの人物は、和仁親実の姉婿とされる辺春親行を指すとみられる。

親行の生没年や家の来歴は、よくわかっていない。

田中城での辺春親行

天正15年(1587年)、佐々成政の検地に隈部親永が抵抗して肥後国衆一揆が起きた。親行は、和仁親実とその弟の親範・親宗とともに田中城(熊本県和水町)に立てこもった。攻城のようすを描いた絵図の名も『辺春和仁仕寄陣取図』(山口県文書館所蔵)で、辺春と和仁の名が並んでいる。

熊本県の解説では、田中城は辺春親行の裏切りによって同年12月5日に落城したとされる。安国寺恵瓊の調略(寝返りの誘い)を受けたともいわれ、親行が親実を斬ったという話もある。ただし、これらは軍記物『和仁軍談』などによる部分が多く、細部は確かめにくい。裏切りの後の親行の消息もはっきりしない。

田中城を囲んだ軍勢

田中城を囲んだのは、小早川秀包を主将とし、安国寺恵瓊・鍋島直茂・立花宗茂・筑紫広門らが加わった約1万の軍勢である。籠城の期間は資料によって「38日」「約2か月」「約100日」と幅がある。

このころの立花宗茂は、秀吉の九州平定の後に筑後柳川を与えられたばかりの大名であった。「柳川藩主」という呼び方は、江戸時代の藩の制度にもとづく言い方である。

ゆかりの地

  • 田中城跡(熊本県和水町):親行が和仁一族とともに籠城した城。国史跡

参考にした資料

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