森岡信元 | 津軽為信の重臣。「大浦三老」の一人

もりおか のぶもと

地域東北
所属勢力・属性津軽家臣
大名家津軽氏
家紋―
主武器大槍
衣装・甲冑武骨重厚具足
武将タイプ「津軽三老」・猛将

森岡信元は陸奥津軽の大浦(津軽)為信に仕えた重臣である。兼平綱則・小笠原信浄とともに「大浦三老」の一人に数えられる。為信の津軽統一戦で働いたと伝わる。最期については、為信の命で殺害されたとする伝承がある。

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大浦氏の家臣として

信元は天文15年(1546)に生まれたとされる。父は森岡信治。森岡氏は大浦氏(のちの津軽氏)の家臣の家である。大浦氏は陸奥国津軽地方の西部を拠点とした一族で、当時は南部氏の勢力下にあった。

大浦為信が家督を継ぐと、信元はこれに仕えた。兼平綱則・小笠原信浄とともに「大浦三老」の一人に数えられる。

津軽統一戦での働き

為信は元亀2年(1571)から南部氏方の城を攻め、津軽地方の制圧を進めた。後世の記録によると、信元は同年に和徳城の城主となった。天正3年(1575)の大光寺城攻めでは危機に陥った為信を救い、天正7年(1579)の戦いでは夜襲で功を挙げたとされる。

為信はその後、天正18年(1590)に豊臣秀吉から津軽の領有を認められ、津軽氏を称した。信元はこの津軽氏の成立を支えた家臣の一人とされる。

最期をめぐる伝承

信元の最期については、為信から謀反を疑われ、為信の命を受けた家臣によって久渡寺(弘前市)で殺害されたとする伝承がある。時期は関ヶ原の戦いの頃(慶長5年、1600)とされる。ただし、これらは後世の編纂物や伝承によるもので、同時代の史料では確かめられていない。

ゆかりの地

  • 和徳城跡(青森県弘前市):信元が城主になったとされる城
  • 久渡寺(青森県弘前市):信元が殺害された場所と伝わる寺
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