はたの ひではる
| 地域 | 近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 丹波波多野氏 |
| 大名家 | 丹波波多野氏 |
| 家紋 | 丸に三ツ引き |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 黒塗具足 |
| 武将タイプ | 不屈・悲壮 |
丹波八上城主。赤井直正とともに明智光秀の丹波侵攻に3年間徹底抗戦。最後は兵糧攻めで降伏し安土で処刑された。
目次
丹波八上城主・波多野秀治
波多野秀治(はたの ひではる)は、丹波国(現在の京都府中部)の八上城(やかみじょう)を本拠とした大名です。赤井直正とともに、明智光秀の丹波侵攻に三年間にわたって徹底抗戦し、最後は兵糧攻めの末に降伏し、安土で処刑されました。
丹波の名族・波多野氏
波多野氏は、丹波に勢力を張った名族で、堅城・八上城を本拠としていました。波多野秀治は、その当主として、織田信長の丹波平定に立ちはだかる中心人物となります。
明智光秀への抵抗
織田信長は、明智光秀に丹波の平定を命じました。波多野秀治は、「丹波の赤鬼」と恐れられた赤井直正らと連携し、光秀の軍を幾度も退けて、丹波平定を三年もの間阻み続けました。一時は光秀を窮地に追い込むほどの、粘り強い抵抗でした。
八上城の落城と最期
しかし光秀は、八上城を包囲して兵糧攻めを行いました。城内は飢餓に苦しみ、ついに波多野秀治は降伏します。降伏後、秀治は安土へ送られ、信長によって処刑されました。波多野秀治の生涯は、八上城に拠って明智光秀の丹波侵攻に三年間抗い続けた、その頑強な抵抗を今に伝えています。























