ながお ためかげ
| 地域 | 甲信越(越後) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 長尾氏(越後守護代) |
| 大名家 | 長尾家 |
| 家紋 | 九曜巴 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 下剋上の武将 |
長尾為景(ながお ためかげ)は、越後の守護代で、上杉謙信の父である。文明18年(1486年)ごろに生まれ、天文11年(1542年)ごろに亡くなった(没年には諸説ある)。主君の越後守護・上杉房能を倒し、さらに関東管領の上杉顕定も討ち取って、越後の実権をにぎった。下剋上を代表する武将のひとりである。
3行でわかる長尾為景
- 越後守護・上杉家の家臣で、守護代をつとめた長尾家の当主
- 主君の上杉房能を攻めて自害させ、関東管領・上杉顕定も長森原の戦いで討ち取った
- 生涯戦いに明け暮れ、子の晴景、そして謙信へと長尾家の力を受け継いだ
目次
主君を倒す
為景は越後守護代・長尾家の当主で、越後守護・上杉房能に仕えていた。永正4年(1507年)、為景は房能を攻めて自害に追いこみ、房能の養子の上杉定実を新しい守護に立てた。
房能の兄で関東管領の上杉顕定は、弟の仇を討つため越後に攻めこみ、為景は一時越中に逃れた。しかし永正7年(1510年)、為景は反撃に出て、長森原の戦い(新潟県南魚沼市)で顕定を討ち取った。
越後の実力者
為景は守護の定実をかざりものとして越後の実権をにぎった。その後も越後の国衆や越中の一向一揆と戦い続け、生涯に100回をこえる戦いをしたといわれる。
晩年は家督を嫡男の晴景にゆずった。晴景のあとに家を継いだのが、為景の末子で、のちの上杉謙信である。
長尾為景をめぐる人物
- 子:長尾晴景/上杉謙信(長尾景虎)/綾(仙桃院)
- 倒した主君:上杉房能
- 討ち取った関東管領:上杉顕定
- 立てた守護:上杉定実
ゆかりの地
- 林泉寺(新潟県上越市):為景が開いた長尾家の菩提寺
- 春日山城跡(新潟県上越市):長尾家・上杉家の居城
- 長森原古戦場(新潟県南魚沼市):上杉顕定を討ち取った戦場


上杉謙信
上杉憲政







































