薄田兼相(隼人正) | 豪傑・岩見重太郎と同一人物と伝わる大坂方の武将。道明寺の戦いで奮戦して散った

薄田兼相のイラスト(イメージ)

すすきだ かねすけ

地域近畿(大坂)
所属勢力・属性豊臣氏(秀頼の家臣)
大名家薄田家
家紋不詳
主武器大太刀
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ伝説の豪傑

薄田兼相(すすきだ かねすけ)は、豊臣秀頼に仕えた武将で、通称は隼人正(はやとのしょう)。生まれた年はわかっていない。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣、道明寺の戦いで討死した。講談で知られる豪傑・岩見重太郎と同一人物だという伝説がある。

3行でわかる薄田兼相
  • 秀吉・秀頼に仕えた豊臣家の家臣だった
  • 冬の陣では博労淵の砦を留守にしたあいだに砦を落とされ、「橙武者」と笑われた
  • 夏の陣の道明寺の戦いで奮戦し、討死した
目次

岩見重太郎の伝説

兼相は秀吉の代から豊臣家に仕え、のちに秀頼の家臣となった。江戸時代の講談では、各地で狒々(ひひ)退治や敵討ちをした豪傑・岩見重太郎が、のちに薄田兼相と名のったとされ、大太刀をふるう怪力の武者として人気を集めた。ただし、これは物語の中の話である。

「橙武者」と笑われる

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で、兼相は大坂城の西の砦・博労淵砦の守りを任された。ところが兼相が砦を離れていたあいだに徳川方の攻撃を受け、砦は落とされてしまった。

このため兼相は、見かけは立派だが役に立たない「橙武者」(正月の飾りの橙のようだという意味)と陰口をたたかれたと伝わる。

道明寺の戦い

慶長20年(1615年)5月6日、大坂夏の陣の道明寺の戦い(大阪府柏原市・藤井寺市)で、兼相は後藤又兵衛の隊が壊滅したあとに戦場に着き、徳川方の大軍に向かって奮戦した。名誉を取り戻すかのように戦い、討死した。

薄田兼相をめぐる人物

  • 主君:豊臣秀吉/豊臣秀頼
  • 道明寺でともに戦った武将:後藤又兵衛/真田幸村
  • 伝説の別名:岩見重太郎

ゆかりの地

  • 道明寺天満宮付近(大阪府藤井寺市):道明寺の戦いの舞台
  • 薄田兼相の墓(大阪府羽曳野市誉田):兼相の墓と伝わる
  • 大阪城(大阪市中央区):秀頼に仕えた城
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