きむら しげなり
| 地域 | 近畿(大坂) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣氏(秀頼の家臣) |
| 大名家 | 木村家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 若き忠臣 |
木村重成(きむら しげなり)は、豊臣秀頼に仕えた武将である。文禄2年(1593年)ごろに生まれたとされ、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、20代前半の若さで討死した。秀頼と兄弟のように育ち、大坂の陣では若いながら一軍をひきいて戦った。礼儀正しく潔い最期から、江戸時代以降、理想の若武者として語り継がれた。
3行でわかる木村重成
- 母が秀頼の乳母で、秀頼と兄弟のように育った
- 大坂冬の陣では今福の戦いで奮戦し、和睦の使者として家康の誓紙を受け取った
- 夏の陣の若江の戦いで井伊直孝の軍と戦って討死した
目次
秀頼の乳兄弟
重成の母・宮内卿局は豊臣秀頼の乳母だった。そのため重成は幼いころから秀頼のそばで育ち、のちに秀頼の側近となった。父は豊臣秀次事件に連座した木村重茲とする説がある。
大坂冬の陣
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で、重成ははじめての実戦に臨み、今福の戦いで佐竹義宣の軍と戦った。後藤又兵衛の助けもあって、よく持ちこたえたという。
和睦が決まると、重成は豊臣方の使者として徳川家康の陣をおとずれ、家康が和睦を守ることを誓う誓紙を受け取った。若い重成が少しも臆することなく堂々とふるまったため、徳川方の武将たちも感心したと伝わる。
若江の戦い
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣が始まった。5月6日、重成は河内の若江(大阪府東大阪市)で徳川方の藤堂高虎・井伊直孝の軍と戦った。藤堂勢を退けたものの、井伊勢との戦いで討死した。
重成は出陣の前に、兜に香をたきこめていたと伝わる。首実検のさい、その香りに気づいた家康は、死を覚悟した若武者の心がけをほめたという。
木村重成をめぐる人物
- 主君:豊臣秀頼
- 母:宮内卿局(秀頼の乳母)
- 若江で戦った相手:井伊直孝/藤堂高虎
- 大坂城の同僚:真田幸村/後藤又兵衛/毛利勝永
ゆかりの地
- 木村重成の墓(大阪府東大阪市若江南町):若江の戦いの地にある墓
- 宗安寺(滋賀県彦根市):重成の首塚がある寺
- 大阪城(大阪市中央区):秀頼のもとで育った城


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