義姫(保春院) | 伊達政宗の母で最上義光の妹。伊達と最上の戦場に輿で乗りこみ、80日間居座って和睦させた

義姫のイラスト(イメージ)

よしひめ

地域東北(出羽・陸奥)
所属勢力・属性伊達氏(伊達輝宗の正室)
大名家伊達家(最上家の出身)
家紋不詳
主武器―
衣装・甲冑小袖・打掛
武将タイプ気丈な奥方

義姫(よしひめ)は、出羽の最上義守の娘で、最上義光の妹、伊達輝宗の妻、伊達政宗の母である。出家後は保春院と呼ばれた。天文17年(1548年)に生まれ、元和9年(1623年)に76歳で亡くなった。実家と嫁ぎ先が争ったとき、戦場に乗りこんで和睦させたことで知られる。

3行でわかる義姫
  • 最上家から伊達家に嫁ぎ、伊達政宗と小次郎を産んだ
  • 大崎合戦のとき、伊達と最上の両軍のあいだに輿で入り、80日間とどまって和睦させた
  • 政宗の毒殺未遂事件を起こしたとされ、のちに実家の山形へ移ったが、晩年は仙台で暮らした
目次

最上家から伊達家へ

義姫は、出羽の山形城主・最上義守の娘として生まれた。兄は「出羽の虎」とも呼ばれた最上義光である。永禄7年(1564年)ごろ、陸奥の伊達輝宗に嫁ぎ、梵天丸(のちの政宗)と竺丸(小次郎)を産んだ。

気性が強く、男まさりの女性だったと伝わる。

戦場に居座って和睦

天正16年(1588年)、伊達家と大崎家の争いに最上家が大崎方として加わり、伊達政宗と兄の最上義光が戦うことになった(大崎合戦)。

このとき義姫は、両軍がにらみあう戦場に輿で乗りこみ、そのまま80日間ほど居座って戦いを止め、両家を和睦させたと伝わる。

毒殺未遂事件と晩年

伊達家の記録によると、天正18年(1590年)、義姫は政宗の弟・小次郎を当主にしようとして、政宗に毒を盛ったとされる。政宗は命をとりとめ、小次郎を手にかけた。ただし、この事件には疑問も多く、実際には起きなかったとする説もある。

義姫はその後、実家の山形に移った。元和8年(1622年)に最上家が取りつぶされると、仙台の政宗のもとに迎えられ、翌年に亡くなった。

義姫をめぐる人物

  • 父:最上義守
  • 兄:最上義光
  • 夫:伊達輝宗
  • 子:伊達政宗/伊達小次郎

ゆかりの地

  • 山形城跡(霞城公園)(山形市):義姫が生まれた最上家の城
  • 米沢城跡(松が岬公園)(山形県米沢市):伊達家の本拠で、政宗を産んだ城
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