林秀貞 | 信長の筆頭家老。一度は信長に背き、24年後にその罪で追放された古参の重臣

林秀貞のイラスト(イメージ)

はやし ひでさだ

地域東海(尾張)
所属勢力・属性織田氏(筆頭家老)
大名家林氏
家紋不詳
主武器―(家老)
衣装・甲冑肩衣・袴
武将タイプ古参の宿老

林秀貞(はやし ひでさだ)は、織田信長の筆頭家老を務めた尾張の武将である。かつては「林通勝」の名で書かれることが多かったが、確かな史料では「秀貞」とされる。信長の父・信秀の代から仕え、若い信長を支える家老となったが、一度は信長の弟・織田信勝を立てて背いた。許されたあとも長く家老を務めたが、天正8年(1580年)に追放された。

3行でわかる林秀貞
  • 信長の父・信秀の代からの重臣で、信長の筆頭家老となった
  • 弘治2年(1556年)、柴田勝家らとともに信勝を立てて信長と戦い、敗れて許された
  • 天正8年(1580年)、24年前の謀反などを理由に追放され、同じ年に亡くなったとされる
目次

信長の家老として

秀貞は、信長が幼いころから付けられた家老の一人で、那古野城の信長を支えた。しかし若い信長のふるまいに不安を感じたともいわれ、弘治2年(1556年)には弟の信勝を当主に立てようとして、柴田勝家らとともに信長と戦った(稲生の戦い)。敗れたものの信長に許され、その後も家老として仕えた。

24年後の追放

天正8年(1580年)、本願寺が大坂を退いた直後、信長は佐久間信盛を追放し、続いて秀貞も追放した。理由とされたのは、24年前の謀反などだった。同じころ安藤守就らも追放されており、信長が古い家臣を整理した出来事とされる。秀貞はこの年に亡くなったと伝わる(「織田家臣団と秀吉家臣団を比較」参照)。

林秀貞をめぐる人物

  • 主君:織田信長
  • 一度立てた相手:織田信勝
  • 同じく追放された重臣:佐久間信盛/安藤守就
  • ともに戦った同僚:柴田勝家

ゆかりの地

  • 那古野城跡(名古屋城二の丸付近)(愛知県名古屋市中区):秀貞が家老として仕えた若き信長の城
  • 稲生原古戦場(愛知県名古屋市西区):秀貞らが信長と戦った稲生の戦いの地
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