あべ まさとよ
| 地域 | 東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 松平家臣 |
| 大名家 | 松平 |
| 家紋 | 丸に違い鷹の羽 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 悲壮・狂気 |
通称「阿部大蔵の子・弥七郎」。錯乱と誤解から主君・松平清康を陣中で斬殺(守山崩れ)した悲劇の刺客。
目次
松平家の悲劇・守山崩れ
阿部正豊(あべ まさとよ)は、三河(現在の愛知県東部)の松平氏に仕えた武将で、通称を弥七郎といい、重臣・阿部大蔵の子にあたります。松平氏は、のちの徳川家康を輩出する家ですが、家康の祖父・清康の時代に大きな悲劇に見舞われました。
松平清康の勢い
家康の祖父・松平清康は、若くして三河をほぼ統一し、さらに尾張へと兵を進めるほどの勢いを見せた英才でした。松平氏の飛躍を予感させる、まさに前途有望な当主だったのです。
守山崩れ
天文4年(1535年)、清康が尾張の守山に出陣した陣中で、悲劇が起こります。阿部正豊が、ある誤解と動揺から、主君・清康を突如斬殺してしまったのです。これが世に言う「守山崩れ(森山崩れ)」です。
松平氏の苦難のはじまり
嘱望された当主を突然失った松平氏は、この事件をきっかけに勢いを削がれ、以後、今川氏や織田氏の圧迫を受ける苦難の時代へと入っていきます。幼い家康が人質として過ごす受難も、この延長線上にありました。阿部正豊の起こした悲劇は、松平氏の運命を大きく暗転させた一場面として記憶されています。





















