副田吉成(甚兵衛) | 秀吉の家臣で朝日姫の最初の夫とされる人物。家康との縁組で妻と別れ、その後は出家したとも

そえだ よしなり(じんべえ)

地域東海(尾張)
所属勢力・属性羽柴(豊臣)秀吉の家臣
大名家豊臣家
家紋不明
主武器―
衣装・甲冑素襖・小袖
武将タイプ天下人の妹婿・政略の陰の人

副田吉成(そえだ よしなり)は、通称を甚兵衛といい、羽柴(豊臣)秀吉に古くから仕えた家臣である。秀吉の妹・朝日姫(旭姫)の最初の夫とされる人物で、兄の秀吉が徳川家康を従わせるために朝日姫を家康に嫁がせたことで、妻と別れることになったと伝わる。大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、あさひの夫「甚助」(演・前原瑞樹)として描かれている。

目次

秀吉の古くからの家臣

副田甚兵衛の名は、天正8年(1580)の秀吉の覚書に見えており、秀吉に仕えていた実在の人物であることが確かめられている。生まれた年や出身、どのような役目を担っていたのか、どれほどの領地や石高を持っていたのかを示す確かな記録は伝わっていない。秀吉が織田家の中で出世していくにつれ、身内や古くからの家臣を取り立てていったなかで、副田もその一人だったと考えられる。

朝日姫との結婚

副田がいつ、どのような経緯で朝日姫と結婚したのかははっきりしない。朝日姫は秀吉の6歳下の妹で、秀吉が出世する前から百姓の娘として育ち、秀吉の家臣と夫婦になったと考えられている。天下人の妹の夫といっても、はじめは尾張の一家臣にすぎず、秀吉の出世とともに、その立場も上がっていったのだろう。

離縁と、その後の諸説

天正14年(1586)、秀吉は家康を上洛させるため、朝日姫を家康の正室として嫁がせた。このとき副田は、秀吉の命で朝日姫と別れたと伝わる。一方で、江戸時代前期の『武家事紀』には、離縁は家康との縁組より何年も前のことで、縁組は家康の側が望んだとする記述もあり、離縁のいきさつは一つに定まっていない。

別れたあとの副田については、秀吉から与えられる加増を断って出家し、身を隠したという話がよく知られている。妻を奪われたことを恥じて自害したという話もあるが、こちらは「佐治日向守」の話として伝わるもので、はっきりしたことはわかっていない。

「佐治日向守」との関係

朝日姫の最初の夫としては、副田甚兵衛のほかに「佐治日向守」の名も伝わる。ただし佐治日向守の名は江戸時代中ごろ以降の書物にしか見えず、実在を疑う見方が強い。尾張藩士が書いた『塩尻』『士林泝洄』や『武家事紀』は副田甚兵衛の名を挙げており、歴史学者の黒田基樹氏も、朝日姫の最初の夫は副田である可能性が高いとしている。佐治日向守については、姉妹サイトの佐治日向守とは(日本の歴史ガイド)でくわしく紹介している。

『豊臣兄弟!』の甚助

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、副田吉成をモデルにした「甚助」が、あさひの夫として前原瑞樹さんによって演じられている。第40回「あさひの輿入れ」では、あさひを夫と別れさせて家康に嫁がせる話が描かれる予定で、甚助がどのような別れを迎えるのかが注目される。ドラマの甚助については、姉妹サイトの甚助(副田吉成)とは(日本の歴史ガイド)もあわせて読んでほしい。

副田吉成をめぐる人物

ゆかりの地

  • 尾張中村(名古屋市中村区):妻・朝日姫と義兄・秀吉、秀長の故郷
  • 浜松城(静岡県浜松市):天正14年、朝日姫が家康のもとへ嫁いだ城
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