あねがこうじ よりつな
| 地域 | 東海(飛騨) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 姉小路氏(三木氏、飛騨の戦国大名) |
| 大名家 | 姉小路家(三木家) |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 飛騨の統一者 |
姉小路頼綱(あねがこうじ よりつな)は、飛騨(岐阜県北部)を治めた戦国大名である。もとは三木家の出身で、父の三木良頼が飛騨国司・姉小路家の名を名のったことから、姉小路頼綱と称した。天文9年(1540年)に生まれ、天正15年(1587年)に48歳で亡くなった。飛騨をほぼ統一したが、豊臣秀吉が送った金森長近に敗れた。
3行でわかる姉小路頼綱
- 飛騨の国衆・三木家の出身で、名門・姉小路家の名を継いだ
- 織田信長と結び、飛騨の大部分を手に入れた
- 佐々成政に味方したため秀吉の飛騨攻めを受け、金森長近に敗れた
目次
飛騨の統一
三木家は飛騨の南部を治めた国衆で、頼綱の父・良頼の代に、飛騨の国司だった名門・姉小路家の名を名のり、朝廷から官位を得た。頼綱はその跡を継ぎ、飛騨の他の国衆を次々に従えて、飛騨をほぼ統一した。
織田家との結びつき
頼綱は織田信長と結び、信長の死後も、越中の佐々成政と手を組んだ。しかし成政は豊臣秀吉と対立していた。
飛騨攻めと最期
天正13年(1585年)、秀吉は佐々成政を攻めるとともに、成政に味方した頼綱を討つため、金森長近を飛騨に送った。頼綱は敗れて降伏し、京に送られた。天正15年(1587年)に京で亡くなった。
飛騨は金森長近のものとなり、高山の城下町が築かれた。
姉小路頼綱をめぐる人物
- 父:三木良頼(姉小路良頼)
- 組んだ相手:佐々成政
- 飛騨を攻めた相手:金森長近
ゆかりの地
- 松倉城跡(岐阜県高山市):頼綱が築いた山城
- 桜洞城跡(岐阜県下呂市):三木家の本拠


金森長近
佐々成政
織田信長
豊臣秀吉






































