板部岡江雪斎 | 北条家の外交僧。秀吉の沼田裁定に出向き、北条家滅亡後は秀吉・家康に仕えた

板部岡江雪斎のイラスト(イメージ)

いたべおか こうせつさい

地域関東(相模)
所属勢力・属性北条氏(右筆・外交)→ 豊臣氏・徳川氏
大名家板部岡家(岡野家)
家紋不詳
主武器―
衣装・甲冑法衣
武将タイプ外交の達人

板部岡江雪斎(いたべおか こうせつさい)は、小田原北条家に仕えた外交担当の家臣である。のちに岡野融成と名のった。天文6年(1537年)に生まれ、慶長14年(1609年)に73歳で亡くなった。北条家の使者として豊臣秀吉のもとへ出向き、上野の沼田をめぐる交渉にあたった。北条家が滅んだあとは、秀吉、さらに徳川家康に仕えた。

3行でわかる板部岡江雪斎
  • 北条家の右筆(文書を書く役)や外交の使者をつとめた
  • 沼田領をめぐる秀吉の裁定に北条家の代表として出向いた
  • 北条家滅亡後は秀吉の御伽衆となり、のちに家康に仕えた
目次

北条家の外交僧

江雪斎は伊豆の田中家の出身で、北条家の家臣・板部岡家を継いだ。出家して江雪斎と名のり、文書を書く右筆や、他家との交渉にあたる使者として活躍した。

沼田裁定

上野の沼田をめぐって北条家と真田家が争うと、天正17年(1589年)、豊臣秀吉はその裁定を行った。江雪斎は北条家の代表として秀吉のもとへ出向き、沼田城は北条家、名胡桃城は真田家とする裁定が下された。しかしこのあと北条家の家臣が名胡桃城を奪い、小田原征伐につながった。

秀吉・家康に仕える

北条家が滅んだあと、江雪斎は秀吉に仕え、話し相手となる御伽衆に加わった。その外交の腕は高く評価されていた。

秀吉の死後は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍として動いた。慶長14年(1609年)に亡くなり、子孫は旗本として続いた。

板部岡江雪斎をめぐる人物

  • 主君:北条氏政/北条氏直 → 豊臣秀吉 → 徳川家康
  • 沼田を争った相手:真田昌幸

ゆかりの地

  • 小田原城(神奈川県小田原市):北条家の本拠
  • 沼田城跡(群馬県沼田市):裁定の対象となった城
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