北条氏照 | 北条氏康の三男で八王子城主。外交と軍事で北条家を支え、小田原開城後に兄・氏政とともに切腹

北条氏照のイラスト(イメージ)

ほうじょう うじてる

地域関東(武蔵・八王子)
所属勢力・属性北条氏(一門)
大名家北条家(大石氏を継ぐ)
家紋三つ鱗
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ武闘派の一門

北条氏照(ほうじょう うじてる)は、北条氏康の三男で、武蔵の滝山城・八王子城を本拠とした武将である。天文11年(1542年)ごろに生まれ、天正18年(1590年)、小田原征伐のあとに兄の北条氏政とともに切腹した。北条家の中でも強硬派として知られ、軍事だけでなく伊達家などとの外交も担った。

3行でわかる北条氏照
  • 武蔵の大石家を継ぎ、滝山城、のちに八王子城を本拠とした
  • 滝山城で武田信玄の大軍を防ぎ、三増峠の戦いで武田軍を追撃した
  • 小田原征伐で八王子城は一日で落ち、開城後に兄・氏政とともに切腹した
目次

大石家を継ぐ

氏照は北条氏康の子として生まれ、武蔵西部の有力な国衆・大石家の養子となった。はじめ滝山城(東京都八王子市)を本拠とし、武蔵の西部から上野・下野方面の支配を任された。

滝山城の戦い

永禄12年(1569年)、武田信玄が小田原に向かう途中で滝山城を攻めた。城は二の丸まで攻めこまれたが、氏照はこれを防ぎきった。帰っていく武田軍を、氏照は弟の氏邦らとともに三増峠で待ちうけたが、武田軍に破られた(三増峠の戦い)。

この経験から、氏照はのちに本拠をより守りのかたい八王子城に移した。

八王子城の落城と最期

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐で、氏照は小田原城に入り、八王子城は家臣たちが守った。6月23日、前田利家・上杉景勝の大軍に攻められ、八王子城は一日で落城した。城の女性や子どもたちも犠牲になったと伝わる。

7月に小田原城が開城すると、秀吉は戦いの責任者として氏政と氏照に切腹を命じた。氏照は兄とともに小田原で切腹した。

北条氏照をめぐる人物

  • 父:北条氏康
  • 兄弟:北条氏政(兄)/北条氏邦(弟)/上杉景虎(弟)
  • 養家:大石家
  • 戦った相手:武田信玄/豊臣秀吉

ゆかりの地

  • 八王子城跡(東京都八王子市):氏照が築いた山城。日本100名城
  • 滝山城跡(東京都八王子市):武田信玄の攻撃を防いだ城
  • 北条氏政・氏照の墓(神奈川県小田原市):小田原駅近くにある兄弟の墓所

▶ あわせて読みたい:武田信玄の小田原攻めと三増峠の戦いをわかりやすく解説

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