大河ドラマ『豊臣兄弟!』第31回「これで、お別れにございます」は、2026年8月16日に放送されました。天正10年(1582年)8月から10月。清須会議のあと、秀吉と織田家のあいだに亀裂が広がり、秀吉は信長の葬儀を強行します。
第31回のあらすじ
清須会議のあとの秀吉のふるまいに、織田家の家臣たちは不信をつのらせます。市は柴田勝家の妻となり、織田信孝は幼い当主・三法師を岐阜へ連れていって、織田家のかしらとしてふるまいはじめました。
小一郎は三法師を取りもどそうと重臣たちに協力を求めますが、断られます。越前へ説得に向かった小一郎に、市は刀を突きつけ「兄の志を継ぐのは私じゃ」と言い放ちました。事実上の宣戦布告です。
手づまりの小一郎は、兄が孤立するのを心配し、「信長さまの葬儀を盛大に行う」ことで皆を一か所に集め、話し合いの場をつくろうとします。ところが市の側が先に動き、京の妙心寺でひそかに信長の法要をすませてしまいました。秀吉は自分の葬儀への参列を皆に断られ、市の法要にはひとりだけ呼ばれないという屈辱を味わいます。
それでも秀吉は、養子の秀勝を喪主に立てて、京の大徳寺で盛大な葬儀を行いました。茶人・千宗易(のちの千利休)の助けもあったようです。葬儀の終わり、秀吉は信長からもらった草履の片方を祭壇に供え、「これで、お別れにございます」と告げました。小一郎は、兄が織田家を倒してでも天下をとる覚悟でいることを知り、ぼうぜんとします。
主な登場人物
史実と比べてみると
- 勝家と市の結婚:天正10年8月ごろ(9月説もあります)、岐阜で婚儀があったとされます。市が刀を突きつけた場面は創作です。
- 三法師:清須会議では三法師を安土に置く予定でしたが、安土城の修理がすむまでとして信孝が岐阜で預かりました。信孝が三法師を手放さなかったことが、秀吉との対立のもとになりました。
- 信長の法要と葬儀:9月11日に京の妙心寺で百か日の法要が行われ、市が営んだとする説が知られます。秀吉は10月11日から17日まで大徳寺で盛大な葬儀を行い、喪主は養子の秀勝(信長の四男)でした。勝家・信孝・信雄らは参列しなかったとされます。秀吉はこの葬儀のため大徳寺に総見院を建てました。
- 千宗易:本能寺の変のあと、秀吉の茶頭として重く用いられていくのは史実です。葬儀を助けたというのはドラマの描き方です。
- 草履を祭壇に供える場面は創作です。
振り返り
第3回の「草履」が、ここで信長との別れの品として戻ってきました。主君への別れであり、織田家との別れでもある。兄の覚悟に、弟が初めて追いつけなかった回です。
放送中の回の記事や登場人物の解説は、大河ドラマ『豊臣兄弟!』特集にまとめています。



















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